時代の波

時代の波

「時代の波」。

これは「世相」とも換言できますね。

 私は数年前、とある書籍から、
「時代の波、人波といいまして、やはり波には乗らねばなりません」
という一文を読みました。
 今まで大して気にはしなかった、この「波に乗る」という概念が、それほど重要で意味あるのかと、その当時改めて気付かされたものでした。

 というのは、事柄によっては、敢えて逆行しても構わないと思えるようなものや、そんな波には乗りたくないと思わざるを得ない、不可思議な、或いは可笑しなものに、よくお目にかかる今日この頃だからです。
 そんな時思うのは「一体誰が操っているんだ?」という、訝しげな感情です。
 もっとも、それが誰かと分かったところで、我々小市民にはなす術がある筈もなく・・・
 悔しいけれど、それでも致し方のない事柄がこの世にはあるのが、事実です。

これぞ時代の波

 逆に、正に吉兆と思えるような、素晴らしい発明や進化を目の当たりにする折りは、これぞ時代の波と、膝を叩いて感嘆できる瞬間です。
「あぁ、今の時代に生きててよかった」
という、率直な思い・・・
 人の情熱や時代の要請によって成し遂げられ、それを喜んで享受できる時や、その波に乗れることに、感謝の念が沸き起こります。

例えば

 さて。
 この「時代の波」なのですが、前述の本で例えとして挙げていたのは、アイヌのことでした。
 彼らは純粋な縄文時代の日本人であるという説です。
 ある時期、人種間差別が激しくなり、それを改めるために、混血、つまり人種間結婚が奨励されたのですが、それを受け入れず、あくまで純血を守り抜いた者たちの末裔が、現在のアイヌ人だというのです。
 その時、混血の波に乗らなかったために、現在に至っては、絶滅の危機さえ叫ばれている人種になってしまったと。

電子メール

 もっとも、ここまで壮大なスケールの話しはちょっと理解しにくいでしょうが、身近なものなら例えば、携帯のメールなどは、一番「時代の波」を感じやすいものではないでしょうか。
 電話は暴力だと、言う人がいます。確かに、見えない相手の状況に全く構わず、受話器を握ることを強制するわけですから、そういう意味合いを否めない側面はあるでしょう。だとすれば、携帯メールは、すこぶる都合のいいツールです。
 爪先でコツコツ文字を打つ手間はありますが、確実に相手に届くし、送信側も受信側も確認洩れはないばかりか、相手の都合を考慮しなくていいし、こちらも都合に関係なく受け取れ、しかもいつでも都合のいい時に返事ができ、相手もまた受け取れるのです。

 ただ、あるエンジニアの話しでは、
「メールが正しく届くメカニズムは、実は誰も説明できない不思議な現象」
なのだそうで、ちょっと驚くのですが、それでもここまで普及するのは、時代の波だからこそと言えるでしょう。

VHS vs ベータ

 反面、どうにも理解し難い波もあります。例えば、ビデオで、ベータに代わってVHSが世界基準になったことです。
 これを憂うソニーファンは、日本はおろか、世界にもあまたおられることでしょう。
 何を隠そう、我が家は父の代からこの悔しさを抱き続けています(笑)
 コンパクトで動作も速く、画質音質は殆ど劣化しないベータを使い慣れたユーザーに
は、VHSの動作の遅さと劣化具合には、苛立ちを禁じえないはずです。
「なんで、これが?」
ねぇ、全く!
 我が家などは、震災で瓦礫の中から引きずり出し、ドロのあとがついているデッキ
が、なんと今でも現役で使うことが可能です。かつてダビングしたテープも沢山あり、
時折楽しんでいるくらいです。が、それでも時代の波には乗らねばならないわけで、
もう一つ、VHSのデッキを置いて、専らそちらを使っているという現状です。

多くの人に喜ばれる波であって欲しい

 こういう事柄を体験し、見聞きするにあたり、ふと感じるのは、自分の出世を夢見て、或いは希望を抱いて頑張っている人が、この世の殆どだと思うのですが、幸運にもその夢が叶い、我が世の春を謳歌できているとして、しかし片方ではそれを、可笑しい、解せぬと首を傾げる人が、何処かにいるかもしれないということです。
 その人は恐らく、「時代の波とはいえ、なんで彼が?」と、言うかもしれません・・・

 そう思うと、時代の波を喜んだり憂いたりというのは、大局的にはあまり意味のない、自己中心的なことなのではないかと。
 携帯メールだって、強い電磁波に苦しめられている人がおられるはずだし、VHSだって、それで多くの関連会社とその社員、家族、関係者が救われ、その業界の住み分けが出来たという側面は、なくはないでしょう。

 とは言え。
 苦しく辛く醜いことのみ多いこの世ならばこその「時代の波」は、どうせなら、純粋に、一人でも多くの人に喜ばれる波であって欲しいし、(それを享受する多くの人が善人であるならばという前提ですが)もし自分の手で具現できる力があるなら、少しでも良い波を生み出したいものです。
 受け手の我々も、何が良いのか、何が悪いのか、公正に見極める判断力を持ちつつ、
時代の波を享受し、時代の波を乗り切り、少しでも楽しく、その時々を生きていきたいと思います。