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解説A12「山中節(石川)」

解説A12「山中節(石川)」

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石川県の温泉民謡。
山中は北陸温泉加賀温泉駅から南東約8㌔、大聖寺川の左岸に発達した温泉町である。温泉の発見は今から約1400年前、僧行基によるものだが、それから更に600年後、白鷺が傷ついた足を湯に浸しているのを見た猟師によって、温泉があることが分かってから開けてきた。以来、鶴仙渓の渓谷美と日本の代表的温泉民謡「山中節」を誇りとする山中温泉は、湯治客によって大いに賑わいを見せた。

山中節の起こりは、元禄の頃と言われている。付近の浜辺の漁師たちが北海道方面へ出稼ぎに行って習い覚えてきた「松前追分節」を、湯の中でのんびり唄っていたのを聞いた*ユカタベーヤが真似をして唄ったのが始まりと言われ、初めは「湯座屋ぶし」とか「湯の廊下ぶし」などと呼ばれていた。それは、

”山中赤うなりゃ木の葉が落ちる やがて船頭衆がござるやら”

と、北海道帰りの船頭たちを待つ、当時を物語る一節があることからもうなずける。

哀調を帯びた山中節は広く一般に愛唱され、その一方で踊りの唄ともなった。明治初期に土地の芸妓たちが合作した「山中節娘踊り」や、それに近代感覚を取り入れた今日の「山中節踊り」、ハッピ姿で踊る男性的な「鉄砲獅子踊り」、更に獅子頭を使って獅子の百態を踊る「山中まつり」もある。また、山中温泉年中行事の最大の呼び物として、簡単な振り付けで踊る「こいこい祭り」がある。秋の彼岸の仲日を挟む三日間、土地の老若男女はもちろん、湯治客も踊りの輪に入って一夜を明かすのである。

山中節が「正調山中節」として今日の隆盛を見るに至ったのは、初代米八(明治42年福井県生まれ)の並々ならぬ努力があったことを忘れてはならない。それは、他のレコードと聴き比べる時、お湯の中でのんびりとリラックスして唄うだけのものではなく、やはりどことなくキチッとした印象を感じるのである。

山中節は現在、山中町指定無形文化財になっている。

*ユカタベーヤ
ベーヤとは石川県の方言で女中のこと。
昔は今日のように各旅館に内湯がなく湯治客は全て総湯へ行ったのだが、その送迎をするのが16才未満の小娘ユカタベーヤ(ユカタベ)である。浴場では、自分のお客に間違えることなく浴衣を着せるのがベーヤの自慢とされていた。
ユカタベーヤは16才を過ぎると、シシと呼ばれる湯治客相手の遊女となった。

歌詞中
薬師 = 山中温泉の西にある山「薬師山」
二天の橋 = 山中温泉の入り口にかかる橋
あと、
昔は唄の最後に「チョイー チョイチョイ」と囃子言葉が入ったが、
今日の正調では唄われていない

ハー
忘れしゃんすな 山中道を 東ゃ松山 西ゃ薬師

送りましょうか 送られましょか せめて二天の 橋までも

山が高うて 山中見えぬ 山中恋しや 山憎や

谷にゃ水音 峰には嵐 間の山中 湯のにおい

薬師山から 湯ざやを見れば シシが髪結うて 身をやつす

浴衣肩にかけ 戸板にもたれ 足で「ろ」の字を かくわいな

お前見初めた 去年の五月 皐月菖蒲の湯の中で

飛んでゆきたい こほろぎの茶屋 恋の架け橋 二人連れ

桂生水で 手拭いひろた これも山中 湯の匂い(流れ)

桂地蔵さんに わしゃ恥ずかしや 別れ涙の 顔みせた

傘を忘れて 二天の橋で 西が曇れば 思い出す

主のお傍とこほろぎ橋は 離れともない いつまでも

とんでゆきたや あの山中へ 思いかけたる ほととぎす

夕べ習うた 山中節も 今朝は 別れの 唄となる

山中山代 粟津の湯でも 恋の病は 治りゃせぬ

(宝謹メモ)
温泉や港といえば、だいたい男女の色恋ごとをモチーフにした民謡が多いものでして・・・ でもこの山中節は、それがあまりいやらしくないスマートな脚色であることが、個人的に好きになれる要因の一つです。勿論、節の透明さ清楚さによるところが大きいのですが。

唄うので難しいのは、唄い出しはまるでボリュームを0から少しずつ上げていくようにするのがベストであること(なかなか骨ですよ!)
あと、
「忘れしゃんすな」の「な」の部分は、如何に可愛らしく、浅くビブラートを加えながら0.5秒ほどでスッと切れるか、なんです。

16才の乙女らしい可憐で清楚な唄声と節付けを目指したいのですが、達成できたら・・・
いぃ~唄ですよぉ~~~