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解説A14「祖谷の粉ひき唄(徳島)」

解説A14「祖谷の粉ひき唄(徳島)」

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徳島県三好郡西祖谷(いや)村の民謡。

高知県から流れる吉野川をたどると、大歩危小歩危の奇勝を経て徳島県に入り、ここから一方は愛媛県へ、もう一方が祖谷川となる。更に上流は剣山がそびえており、その麓が、屋島の戦いに敗れた平家の落人が逃れ住んだという日本三大秘境の一つ、三好郡西祖谷村となる。四国の屋根とか阿波のチベットなどと呼ばれている祖谷地方は、傾斜の急な山ばかりで空らしいところはない。現在でこそ道路も通って車やバスが往復し、その渓谷の美しさ、特に秋の格別さを知る人は多いが、自給自足のかつては、粟、稗、とうもろこし等を粉にして常食とするなど、急傾斜地農業に依存するのみであった。
その粉引き作業は主に、嫁の夜なべ仕事であり、昼間の疲れからくる睡魔に耐えるために唄われたのが、この「祖谷の粉ひき唄」なのである。

いくつかの落人伝説に於いて、かずら橋が天然の「しろくちかずら」で作られている理由として、源氏の追討使が攻めてきた時にすぐ切り落とせるためというのが専らの説であるが、かたや、揺れる橋を見て遠い京の都を思い唄ったのではないかなどという説もあって、興味深い。

昔は多くの歌詞が唄われたが、特に橋を渡るのに非常に苦労したのでこの歌詞がよく唄われた。東祖谷にも同様の唄があったが、今では里唄と呼ばれて残っている。

またこの唄の美しさは繰り返しにあるので、その部分を掛け合いで唄うなどの工夫も面白い。「蜘蛛の巣(ゆ)」という方言の味を生かして唄いたいものである。

祖谷のかずら橋ゃ 蜘蛛の巣のごとく 風も吹かんのに ゆらゆらと
 吹かんのに 吹かんのに風も 風も吹かんのに ゆらゆらと

祖谷のかずら橋ゃ ゆらゆら揺れど 主と手を引きゃ こわくない

祖谷のかずら橋ゃ 様となら渡る 落ちて死んでも 二人づれ

祖谷の源内さんは 稗の粉にむせた お茶がなかったら むせ死ぬる

粉ひき婆さん お年はいくつ わたしゃ挽き木の うない年(おない年)

粉ひけ粉ひけと ひかせておいて 荒い細いの なしょたてる

(宝謹メモ)
素朴な中にも上品さが漂っているのはやはり、モチーフが平家であるからだと思われるのですが。
現代っ子の僕などには想像もつきませんねぇ~ 戦さに敗れ、逃げ隠れ、食料の確保さえ難しく、しかもいつまた襲われるかも知れないという極限状態なんて・・・ 落ち延びる途中や定住先でさえ、何人かは落命していったことでしょう。本当に「哀れ」の一言に尽きます。
しかし、
その営みが、後世に民謡のカタチで以って語り継がれるなど、当時の彼らは想像だにしなかったはず! まぁある意味、それだけ贔屓に思ってるワケなんですよ、平家のご先祖さまがた(笑)
その証拠に、この旋律のなんという美しさ!
これこそ、唄に作り上げた人びとや、それを楽しむ後世の我々の、平家のご先祖さまがたに対する尊敬の念の表れにござりまする(笑)
確りと味わいたいものです。