信長は仏教嫌いではなかった
信長は仏教嫌いではなかった
戦国時代、仏教には殊のほか弾圧を加え厳しい姿勢で臨んだ織田信長。
比叡山延暦寺の焼き討ちに始まり、本願寺攻め、伊勢長島の一向一揆など、どれも完膚なきまでに皆殺しにしています。
一方、
キリスト教は擁護しており、安土城のふもとにセミナリオを建てさせ、自ら足繁く通ってはオルガンの音色を楽しみました。
これだけを見ると信長は仏教嫌いだと思いますが、実はそうではありませんでした。結論から言うと、信長にとって宗教はなんでもよかったのです。その証拠に、その安土城の同じふもとには神社も寺院も建立していましたから。
ではまず。
キリスト教に対しては、それがもたらす科学力が欲しかったというのが本音でした。地球が丸いことを日本人で最初に知ったのは信長で、それ
は宣教師ルイスフロイスによるものでした。鉄砲に次いで、国を富ませるのはこの科学力だと思っていたでしょう。
反対に。
仏教に対しては、仏教そのものではなく、それに巣食う既得権の打破こそが目的だったのです。
「坊主でありながら酒肉を喰らい遊び女を抱く放蕩三昧に仏罰が下らないのなら、仏像や経典はただの木切れ紙くずに過ぎぬ。天が見過ごすのなら我が仏罰を加える」
これは延暦寺焼き討ちの際の信長の言葉です。これそのものは確かに説得力はありますが、実は信長自身、やはり相当な覚悟をしたようです。
古い権威、即ち既得権を打破するのは、いまもむかしも容易ではないということですね。構造改革の要諦は既得権の打破が全てといっても過言ではないですから。
もう一つの理由として。
「マインドコントロールの呪縛から庶民を解き放つため」だったのです。これこそ、現代にも通じる信長の真骨頂と言えるでしょう。
多くの情報に囲まれている現代であればこそ、マインドコントロールからの開放は、簡単ではないですが昔ほど難しくはありません。十数年前、統一教会の件でマインドコントロールからリハビリを経て戻ってきた芸能人が話題になりましたが、要するに正しい知識と家族の愛によって、それは可能となります。
しかし、
何の知識も教養も持たない戦国時代の庶民では、こうはいきません。一度は殺される恐怖ゆえに脱退するのですが、暫くするとまたもとの信仰心が沸き起こるものなのです。おまけに、武器を持って戦おうとするから始末に負えず、そうなると、武家にとって戦争は本業とはいえ、これほど財政を逼迫させるものはないし、マインドコントロールから開放するリハビリの術を持たないのであれば、殺されて成仏の希望を見出させたほうがいいわけです。
仏教に加えた弾圧は一見、ただ残酷なだけにしか映りませんが、そこには信長の徹底的な合理主義が根付いているのでした。
自分個人ではなく、常に「公人」という意識で日本国全体を考えていた、真に類稀な人物だったと思います。