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わが青春の吹奏楽09

わが青春の吹奏楽09

「三年最後の合宿」

思えば・・・
様々な思い出の詰まったハチ高原の合宿でした。うまく演奏できず笑い者になり、草葉の陰で涙した一年。肝試し大会や花火大会を盛り上げるため、色んな工夫を凝らすことに必死になっていた二年。そして今回は、最後の夏を楽しむ最上級生としての貫禄の合宿といった趣きでした。N嬢とも、いつも仲良く一緒で、周囲もそれを容認していたかのような雰囲気までありました。「苦労に耐えてこそ春は喜び」。正にそういったそういった言葉がピッタリ当てはまる気がしていました。

合宿から帰ってくると、たそがれコンサートに向けた練習です。本来、三年生にとっての夏休みは、高校受験に向けた追い込みとも言える時期なのですが、勉強のほうは友人のH君と計画的にコツコツやってましたね。加えて、部活にプールにと、結構充実した夏休みだったと記憶しています。
が・・・
ここまで没頭するのには、実はワケがありました。

学校時代は大きく分けて、文化会系タイプと体育会系タイプにキャラクターが分かれると思います。僕は言わずもがな文化会系~それでずっとやってきました。しかし、当時を振り返って思うのは、周りを同じタイプの生徒に囲まれておればこそ、居心地も良く実力も発揮できるというものです。一年生の時も二年生の時も、そうでした。部活は勿論、生徒会でも華々しい活躍が出来たのは一重に、そういう環境に恵まれていたからでした。
ところが。
三年生になると一変します。クラスメイトの殆どは体育会系でした。イニシアチブは彼らが取り、やわな文化会系タイプは隅っこに追いやられました。加えて、5月の生徒会選挙に落選してからは、クラスの役員選挙に名前は挙がるものの、学級委員長は勿論、他の役員にも選ばれることはなく、なんとパン係という(笑)箸にも棒にもかからない、正に「一般生」に落ちぶれ、それは卒業まで続いたのでした。
この頃から、
往年の(笑)勢いは影を潜め、口数も少なくなり、放課後はそそくさと部室に急ぐようになっていきます。
一、二年の頃は足繁く職員室に行っていたのが、この頃はそういった必要もなく・・・ それを不憫に思う何人かの先生は時折、僕を呼び出しては何かと話し相手をして下さるほどでした。

そして、
この時の雰囲気を端的に表す出来事がありました。
二学期の、ある昼食の時間。
教室に突然カメラマンが入ってきました。それは卒業アルバムのための撮影でした。クラスメイトの殆どは我勝ちにいい位置に群がり、思い思いのポーズをとっていましたが、僕と、隣に座っていた男子生徒だけは、我れ関せずといった態度で背を向け、黙々とお弁当を食べていたのでした。このショットは今でもアルバムに残っています。

全てが面白くなかったのでした。
そういう反動もあって、より一層、部活中心の生活をするようになっていたのです。余談ながらこの傾向、実は高校時代まで続くのでした。後に入学する県立東灘高校は、なんと教職員も含めて極端な体育会系主導の校風でして・・・ そうなるともうクラスなんて眼中になく、部活動にしか自分自身の居場所は見出せませんでした。幸い、年間の練習時間は体育会系をも凌ぐほどの活動ぶりだったので、周囲のコンセンサスは
得られ易かったのですが。

話しを戻しますが、
でもそんなムードに一矢報いるイベントが、二つ残されていました。
体育会と音楽コンクールです。
次回は、それらを順にお話しします。