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解説A17「信濃追分(長野)」

解説A17「信濃追分(長野)」

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ゆったりと野趣に富んだ「小諸馬子唄」が、浅間山麓の追分宿(oiwakejuku)の飯盛り女の酒席の唄として三味線のリズムに乗り、囃子言葉まで付加されて賑やかなお座敷の騒ぎ唄に変化したのがこの「信濃追分」である。後にこの唄は北国街道を北進して「越後追分」を生み、更に北海道に渡って「江差追分」の母体ともなった。

追分宿は中山道と北国街道の分岐点で、馬を追い分ける意味から「追分」といわれ、その歴史は#例幣使(reiheishi)の昔に始まり、近世大名の参勤交代の往来が激しくなる頃にまで至る。弦歌さんざめく中に「信濃追分」の名調子は、旅の印象をひとしお深くしたであろう。

貞享元年(1684)には更に盛況を極め、追分宿の街は五町余り、旅籠71、茶屋18、全戸数約90戸、そのうちの殆どが妓廊という有り様であった。中でも中の三丁目大籬(oomagaki)の油屋、大黒屋などには美人が多くて揚代も高く、庶民にはちょっと手の届かない存在だったという。その街道宿場も、徳川幕府の倒壊と明治23年(1890)信越線の開通によって終焉を迎えた。

歌詞は全て宿場の飯盛り女との愛情に関するものであり、この点は馬子唄の変化であっても内容的に大きな相違がある。後には、同じ歌詞を「馬子唄」と「追分」の両方で唄うようになった。

#例幣使:神に祈りを捧げる「金の幣(ぬさ)」を奉納するための勅使。だが、ところによっては乱暴を働く野党のような存在でもあった。

*ハキタホイ
浅間根越しの *ハキタホイ
焼け野の中でヨ *ハキタホイ
あやめ *ハキタホイ
咲くとは *ハキタホイ
しおらしや *ハキタホイ
 来たよで来ぬよで面影立つよで
(来たよで戸が鳴る出てみりゃ風だよ)
 オーサドンドン

小諸出て見ろ 浅間の山にヨ
今朝も煙が 三筋立つ
 来てみりゃとが鳴る出てみりゃ風だよ
(往くよで来るよで面影さすよで)
 オーサドンドン

浅間山さん なぜ焼けしゃんす
裾に三宿 もちながら

あのや追分 沼やら田やら
行くに行かれず 一足も
(八坂砂山下駄はいてよじよじ)

碓氷峠の 権現さまは
主のためには 守り神

西は追分 東は関所
せめて峠の 茶屋までも

碓氷峠の あの風車 ←熊野権現に奉納の石の風車
誰を待つやら 来る来ると

追分油屋の 掛け行燈にゃ
浮気御免と 書いてある

油屋に置けども ありゃわしのもの
年(ねん)が空くまで 預けおく

*キタサのサンの字
 イネコのイの字はおやじ(おら家)のしるしだ
 オーサドンドン

*デンデンデデンと
 角兵衛お獅子が でんぐり返って
 悪魔払いだ 結構のことだよ
 オーサドンドン

<宝謹メモ>
数ある日本民謡の中で、同じ県内なのにここまで変化するという面白さの代表格が、前回の小諸馬子唄と今回の信濃追分とのペア(笑)ではないでしょうか? だって節回し云々のレベルじゃないですもんねぇ。尺八唄が三味線唄になってるんだから・・・
この激変ぶりは、次回の本荘追分でより一層スゴイものになります(笑)
しかし民謡って、シチュエーションが大体こういう「色艶モノ」である場合が多いです。個人的にはこの部分が好きになれないんですよね~・・・。まぁこれらも含めて「人間模様=民の唄=庶民が生きていた証し」と、俯瞰して見られるようになるには、僕ももう少し様々に人生を生き、齢を重ねていって初めて可能なのかも知れません。