トップ » 我が青春の吹奏楽・・・ » わが青春の吹奏楽11

わが青春の吹奏楽11

わが青春の吹奏楽11

<音楽コンクール>

体育会が済むと今度は、音楽コンクールという行事がありました。これはいわゆる学年毎のクラス対抗合唱コンクールで、各学年で決められた課題曲とクラス任意の自由曲で競うものなのですが・・・
実は三年生にだけ大きな特徴がありました。優勝クラスは、御影公会堂で行われる「東灘区中学校連合音楽会」に出場できるのです。このイベントの内容は題名の通りなのですが、合唱の部と吹奏楽の部があり、合唱の部でこの当時、魚崎中学校だけ校内コンクールで優勝した三年生1クラスが出場できていたので、三年生にとってはもう目の色が変わるほど励みになる特権でした。高校野球のメッカが甲子園であるのとまるで同じように、「公会堂へ行く」が合言葉で、各クラスとも凄まじくしのぎを削るのでした。
吹奏楽部は上記のように毎年出場できるのではありますが、やはり「選ばれた者」という優越感は何物にも替え難い感慨があります。

さあ。
この時ばかりは「これは児玉しかない」という雰囲気が、有難いことに(笑)クラス中に漂っていました。当然のように指揮者に選ばれ(但し課題曲のみ。一人で2曲はできないルール)その日から早速に練習が始まりました。

初めは、どのようにクラスをまとめたらよいものか戸惑いがありましたが、だんだんと結束が強まっていきました。部活のように、その道に秀でた者、得意な者ばかりで構成されてるわけではない「クラス」という条件の中で、レベルを上げていく秘訣はただ一つ。「この指揮者はスゴイ。言うことを聞いてついて行けば、イケるゾ」と思わせることでした。そのポイントの第一は、指揮棒の振り方です。自慢じゃないですが、この当時から振り方には自負がありましたし、サウンドの作り方も「吹奏楽部員じゃないから」という手抜きは一切せず、本格的にビシバシ(笑)いきました。それが奏功したのか、各クラスで練習が始まった同時期からたった一週間で「優勝候補」とウワサされるようになり、早朝練習時には、他クラスの指揮者が物陰から偵察するほどの有り様に加え、音楽教師(実は吹奏楽部顧問)も「さすが優勝候補やな」と、如何にも虎の巻と思しき秘伝レベルまで教えてくれました。

しかし。
強力なライバルが出現しました(笑)。N嬢のクラスです。彼女も指揮者で、加えて自由曲の伴奏者でもあったのですが、その自由曲の難度が高く、そういう意味でも非常に手強い相手でした。ただ、部活動ではトロンボーンを吹く彼女と隣に座るのですが、音楽的なことはお互いに言わず、クラスをまとめる苦労などの話しに花を咲かせておりました。

ところが。
いよいよ近付いてきた頃に、僕のクラスでちょっとしたもめごとが起きました。なんとか解決はしたものの、それが元でやや意気込みが失速した感がありました。それは当日の演奏にも現れたのか、成績は二位で、公会堂への夢は敗れてしまいました。そして優勝したのはなんと、彼女のクラスだったのです。
勉強の成績も上位レベルだった彼女でしたが、やっぱりこういうところでも敵わないのかと、落胆したものでした。

まぁ・・・
「音楽は児玉」の名は広まったし、残念だけど一矢報いることができたから~。。。クラスのみんなには悪いけど、良しとしようかな f^_^; っと、悔しさの中に少しだけ、そういう思いはありました。
公会堂での本番当日は、吹奏楽の部の演奏前にクラスの伴奏にも神経を使わなければいけない彼女を羨ましく思いながら、かたやクラスでは僕一人が吹奏楽の部で出場できることを申し訳なく思いながら、演奏曲「ウエストサイドストーリーメドレー」を、区内では名門と言われていた当時の本庄中学、御影中学の吹奏楽部の眼前で、一音も外すことなく(最高音ハイCさえも)演奏し終えたことで、一定の満足感はありました。
そんな終演後。熱気ムンムンの公会堂から外に出ると、秋の涼しい風と、雲ひとつない夜空に冴える月が、とっても印象的だったのを覚えています。

さて、あとは受験勉強。
いえいえ、まだまだ(笑) 定期演奏会で漸く引退。なのです。
が。
これもまた、思い出深いものでした。