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解説A18「本荘追分(秋田)」

解説A18「本荘追分(秋田)」

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秋田県本荘地区のお座敷唄。

「追分節」の起源が「小諸」というのは前回より述べているが、加えて、浅間山麓を馬の鈴を響かせながら唄った馬子唄が地方に伝搬した経路は主に二つある。
一つは、北上して新潟から海路松前に行き、そこから逆に南下して船川、秋田、本荘、酒田へと伝わった経路。
もう一つは、ゴゼや旅芸人、傀儡師たちによって越後から陸路を北上し、酒田、本荘へと伝わった経路である。本荘追分は後者と見ていいだろう。

この唄を、通常の「追分」という先入観で聴くと、そぐわない印象を受ける。しかし前述の様に、伝搬の経路によって途中様変わりしていくのは当然と言えるかもしれない。
原形の小諸馬子唄、信濃追分などの哀調や悠長さは消え去り、明るくリズミカルで急テンポな曲調になっている。

*キタサー キタサ
ハー 本荘 *キタサ
ハー 名物 *ハイハイ
ハー 焼け山の *ハイハイ
ハー わらびヨ 
*キタサー キタサ
焼けば焼くほど *ハイハイ
ハー 太くなる *キタサー キタサ

出羽の富士見て 流るる筏ヨ
着けば本荘で 上がり酒

あちらこちらに 野火つく頃はヨ
梅も桜も 共に咲く

江戸で関とる 本荘の米はヨ
おらが在所の 田で育つ

<宝謹メモ>
この唄、個人的に大好きなんです!

最初はただ、変則付点とも言えるリズムが特徴的でスゴイなぁとしか思わなかったんですが、この本荘追分で感涙にむせぶ経験をしたんです。

’95年の大震災で被災し、家を失い、知人を頼って播州赤穂へ転居した時のこと。それは、神戸生まれ神戸育ちの現代都会っ子の僕が初めて田舎暮らしを始めるという、恐らく人生に於いて貴重な時期であろうことなのですが・・・
ある晴れた日、赤穂の大河として有名な千種川に沿った道路を、車でのんびりと北上していて、たまたまかかっていた音楽がこの本荘追分だったのですが(普段は民謡を滅多に聴かない「笑」) 車窓から見える風景と音楽が、なんと実にピッタリ合うんですよ! 都会とは違った真っ青な大空、それも目の高さで見える広さ、それを背景に遠くに重なる山々、両側には山の麓に点在する民家、そこから川沿いに広がる田畑、青々と水を湛えた川、かすかに聞こえるヒバリの鳴き声。更に言うと、車の速度は40キロほど。

そんなシチュエーションで聴く本荘追分は「うわ、これだ」っと十二分に思えるものでしたよ! これに合う音楽は絶対にクラシックではなく、ジャズでもなく、フュージョンでもなく、演歌でも詩吟でも御詠歌でもなく(笑)
民謡なんです! 民謡でないとダメなんです! 民謡しかないんです!

都会から見て田舎は、確かに野暮ったい部分、洗練されてない部分があるでしょう。しかしそれは外見だけの話しであって、見つめるべきはもっと奥深い根底にあるのです。日本民謡はそれに気付かせてくれる格好の媒体であるのかもしれません。この国のご先祖様が営々と受け継いできた日本民謡がこの時初めて、自分の心身の中でフラッシュバックしたような感じでした。

今まで僕は、テクニックだけで日本民謡を演奏歌唱し、指導してきました。それは年齢が若い故に致し方ない部分でもあったでしょう。でも二代目になって5年目の27歳当時、被災したことは不幸でしたが、この経験をせずして「民謡指導家」などと名乗るものではないなと痛感しながら、日本民謡の「こころ」とでも言うべき一端を感じさせてくれたこの偶然に、深く感謝したものでした。

この赤穂以外にも、ピッタリくるシチュエーションは勿論あるでしょう。秋田県の本荘追分なのですから、秋田県本荘地区がまず第一(笑)要するに、
日本民謡はやはり地元で接するのが一番なのですよね。そしてそこで「こころ」を体得することが、呼吸法とか上手な節回しとか以前に最も大事なことであるのです。本荘追分は、それを教えてくれた民謡でした。