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わが青春の吹奏楽14 - ???? ???
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わが青春の吹奏楽14

わが青春の吹奏楽14

「高校という世界2」

春休みの最中~
中学時代に仲良しだったN嬢と一緒に、県立神戸高校OB吹奏楽団の定期演奏会を聴きに行きました。ここの定演は今回が第二回で、以後も暫くの間は毎年続けて聴きに行くことになるのですが、思えばこの第二回が一番上手だったように思います。

ところで。
N嬢はこの日、ネックレスをしてきていました。トランペットとトロンボーンを合わせたようなデザインで、いわば「トランボーン、またはトロンペット」(笑) 彼女のそういう気持ちがほんのりと温かく嬉しかったように記憶しています。
かたやN嬢にとっては、ここの高校が間もなく自分が活躍する場・・・そういう感慨もあったことと思います。現に神戸高校はこの年と二年後に、吹奏楽コンクールで全国大会出場を果たすのですから。

さて、
上記にもあるように、この回の演奏会の僕の印象は深く、今でも当時の曲目をプログラム冊子を確認せずに言えるほどです。

アメリカンサリュート
A.SAXと吹奏楽のためのバラード(H.トマジ)
海の歌(R・ミッチェル)
———–
アフリカンシンフォニー
追憶のテーマ
エンドレス・ラヴ
スパニッシュ・フィーバー
————
交響詩「ローマの松」全曲(レスピーギ)
—–アンコール
春なのに(松任谷由美)
バレエ組曲「ガイーヌ」よりレスギンカ(ハチャトリアン)

ね!(笑)

特に、トマジ作曲のバラードでA.SAXソロを吹いたHSさんは、この年の現役部の指揮者で全国大会に導いたお方。
また、
追憶のテーマでトロンボーンソロを吹いたFMさんは、二年後に同じく現役部の指揮者として全国大会再出場を果たしたお方。
ねぇ。逸材の宝庫でしょ~ もう羨ましかったなぁ~

そんな定演デートから数日後。
早速わが校吹奏楽部の練習に参加することになりました。まだ春休み中でしたが、受験ブランクもあるので早く慣れたほうがいいと思って。
そこにトランペットで同期になる初対面のF君がいました。彼は布引中学吹奏楽部出身で部長経験もあるのですが、彼から受けた影響は、僕の高校吹奏楽レベルの足掛かりとしては十二分なものでした。

まず、
彼は自分の楽器を持っていたのですが、メーカーはBACH(バック)。これは、ヤマハしか知らない当時の僕にとっては初めて聞く名前でした。大抵トランペットとトロンボーンはBACHを持つ人が多いというのも、後になってから知ったほどで、自分が如何に井の中の蛙だったかと、早くも思い知らされたものでした。
余談ですが、部長のH先輩はKING、二年生のK先輩はBACH。また主だったパートにそれぞれセオリーとも言えるメーカーがあるというのも高校で知ったほどでして。。。サックスはセルマー、クラリネットはクランポン、シンバルはジルジャンなどといった具合(後は省略します)・・・

次に、
彼は教則本を常に持っていて、朝一番の音出しの時は、そのフレーズでウォームアップしていました。そういう経験のない僕にとっては、ここでもヤラレタ感じ(笑) 確かにそのフレーズ全てはウォームアップとして非常に合理的に思えるものでしたから。
また、
部全体がこの時既にコンクール曲の練習に入っていて、僕はまた3rdからの出発だったのですが、その曲の難易度が高くて曲の全体像も見えにくく、各フレーズがどういう意味を持つものかさえ、さっぱり解りませんでした。前述のカウンターパンチ(笑)に加えてこの有り様ですから、なんか精神的に凹みまくり・・・

加えて、
パート練習で最初に「スケール」という和音の練習をするのですが、ここでも最も基本となるいわゆる「ドミソ」がなかなか合わず~ その都度H先輩が「合わせて!」と叱咤なさるのですが、当時の僕には何をどう合わせていいのかが解らず、ただオロオロと音を出すだけでした。それをF君に尋ねると、平均律のしくみから詳しく述べてくれ、漸く理解できたほど・・・ ここでもF君にヤラレテおり、もう気分はズタズタでした。

要するに。
中学では輝かしい活躍をし、合格の夜にオファーまで戴いたほどの児玉さん(笑)は、高校でフタを開けてみれば全く歯が立たない情けないものだったのです。中学での一番いい時期を判断材料とされ、その情報はH先輩にも行ってる筈で、それ故に完全に期待外れと思われてたらしく、それが何となく伝わって感じるだけに、自分でも申し訳ないやら悔しいやらでした。そんなH先輩の僕に対する評価が180度変わるのは、僕がOBになってから三年後という長い年月を費やすことになるのです。換言すれば、それだけ長い間、僕はなかなか本領を発揮できなかったのでした。

「まぁ僕はスロースターターだから」っと自分を慰めたりもしましたが、練習の度ごとに圧倒されるばかりで、完全に飲まれている感は否めませんでした。中学時代「僕と同じレベルがもっと周囲に沢山おればなぁ」などと歯がゆい思いをしていたのに、いざそういう環境になると、まるで溺れるが如くで・・・

この後もまだまだ、高校レベルの凄さを思い知らされる日々が続きます。