大義名分
大義名分
WEB開局3周年。そして4年目に突入致しました。
書きも書いたり、36コラム! 辛口、愚痴、戯言、提言・・・
その時々の思いを精一杯、自分なりに綴って参りました。今までのご愛読、心から感謝申し上げます。
そしてこれからも頑張ります。何卒宜しくお願い申し上げます。
ところで、どうして日本民謡とは、かくも低いのでしょうか?
その成り立ちに不満なのではありません。例えば歌舞伎などは当初、出雲のお国という女性のストリップ紛いの姿でしたから。
それが日本の伝統芸能の頂点に登り詰めたのは、そこに関わった先人方の頭脳と努力、そして時間の積み重ねの賜物なのでしょう。
日本民謡もその可能性は充分に持ち得ていますが、その成り立ちや現状に対して蔑視する方々が多いのが、残念乍ら事実です。
しかし実際問題「ゆりこぶし」といわれる民謡唄独自の発声法や、三味線、尺八を自在に操る技は、
決して侮れるものではなく、むしろ世間離れした非常に特殊なもので、
「民たみの謡うたい」とはいえ、誰にでも出来るというものでは絶対にありません。
でも正当な評価は、未だ得られていないのです。
民謡界の識者は、この辺りをどう認識しているのでしょうか?
ひと昔前のブームで一時代を築いた感のある日本民謡ではありますが、
今後、関係者が望む更なる立身出世(と言っては語弊か)を叶えるには、戦略的な頭脳が必要です。
演奏家、指導家、解説家、プロダクション、テクニカルスタッフ、その他大勢の関係者や関連事項の端々に至るまで、
今までにない一貫した理念と環境を、再度整備する必要があります。
個々の家元や会主先生が、自己の栄達や利益のみを追い求めているばかりでは、次代の発展はあり得ません。
例えば、私がこう書き綴っても「それはお前だ」と誹謗中傷し足を引っ張る様では、お寒い限りです。
行間の真意をこそ感じ、眼光紙背に徹する方がお読みになれば、一目瞭然の筈です。
そういう奇特な先生がもっと増える事も、いや、そういう方だけが真に「先生」と呼ばれるようになる事こそ、
また、真にスター性と実力のある方だけが「演奏家、アーティスト」と呼ばれるようになってこそ、
明るい将来が見えてくると思います。現に、先のNHK紅白歌合戦では、
本来歌手ではない若手俳優が、ギターを弾き語りし鍵盤も弾いて更に踊っておりました。
あれが今の世代なのです。今の若者にとってあのレベルは、ちょっと頑張れば誰にでも出来るのです。
その実情にあって、日本民謡が旧態依然のままで「民謡を若者に」と言っても、当人達が振り向く筈がありません。
因みに他方、津軽三味線などはまだましな方です。
今のブームで台頭しているプレーヤーの技量は、若い世代でないと到達不可能なレベルにまで進化しており、
もはや先鋭的な演奏者の読みの深さが保守的な審査員を越えてしまうような結果も、出ている程です。
差し当たっては流派や派閥に捕われず、一貫した理念の元で、関連する全てのセクションにエリートを揃える必要があります。
そうするにはまず、そのエリート結集に耐え得る圧倒的なカリスマを持つ「超リーダー」の存在が不可欠なのですが、
しかしそういう方は大抵、民謡など音楽を含めた芸術界には目もくれず、政界、財界、官界、
芸術界であっても画家や映画監督、また音楽界であってもクラシック系などを目指すでしょう。そこを何とかして、
逸材の発掘か育成、または誘致でもしないと、何時まで経っても同じ事の繰り返しです。
「日本人の心のふるさと」「ご先祖さまのうた」・・・その範囲を越えません。勿論それで結構なのですが、
しかしそれだけでは次代に残す事は出来ないのです。
高齢化の現状だけに頼って次代への育成を怠っていては、必ず廃れます。世は移ろい、人はみな死ぬのですから。
今のシステムやイメージだけでは、有能な人材は躊躇なく他のジャンルを目指し、
こう言っては大変問題発言でしょうが、残りカスのような人材しか日本民謡に目を向けません。
そういう人でも、その瞬間は若いから皆もてはやすでしょうが、将来の先細りは目に見えています。
その人に才能があるかないかは、識者が見れば明らかですから。
これからも私は引き続き、自身に出来得る事は可能な限り実行していきます。
現在の民謡界に問題は山ほどあります。だからこそそれらの解決に向けて進むのです。
智恵を絞り、策を巡らせ、経験を積み、人脈を広め、資金を集め、その最終目標を、
「日本民謡の御為」に注ぎ込む覚悟です。そしてこの理念にご賛同下さる方々を募り、日本民謡の明るい未来を共に築きたいのです。
何しろ、自国の音楽の普及率、定着率、それに対する意識、そこに関わる方々のレベルなど、とにかくそういった諸々の要素が、
こうも低いのは世界でも日本だけです。それが悪いか? 私は悪いというより、おかしいと思います。喩えるなら、
親子は互いを思う気持ちが誰よりも一番です。同様にしかし、その国の音楽に民が振り向かない国・・・やはり、おかしいです。
日本人として道義上当然である筈の、日本民謡も含めた邦楽が、もっと気楽に普通に当然のものになれば、
国際語としての意味合いを持つ洋楽と併用しながら、世界と対等に民俗意識を、愛国心を、謳う事ができます。
そしてそれが果たせた時初めて、日本人音楽の国際化が実現出来、ひいては本物が残っていく様になると思うのですが。
道のりは、まだまだだと思います。