気を引き締めて
気を引き締めて
いよいよ来月から、学校音楽教育に邦楽導入の施行がスタートします。
今年度(’02.4月の意)からは中学校です。来年度からは高校でも施行されます。
各学校の音楽担当教師はここに至るまで、どれにしようかと思い悩み、試行錯誤なさったと思います。学校によっては、
かなり早い時期に色々と実験してみて新年度からスムースに実行できるようになさったとも、お聞きしています。
さて。
手前共は昨秋、兵庫県教育委員会「トライやるウィーク」に登録している中の一つ、
市立住吉中学校から希望者を対象に、ウィークを実施する事が出来ました。
ここで得られた私の経験は誠に貴重なものでしたが、一番の印象は、
「やはり若い世代は若い指導者でないと無理」というものでした。もっとも、
昔ながらの感覚と手法を一概に否定する訳ではありませんが、
彼等が普段耳にする昨今の芸能界やミュージックシーン、学校教育音楽などと全く繋がらせずに、
別世界の音楽として位置付ける事は、今の時流ではもはや不可能であり、
そうなったら彼等の興味も底の浅いものとなってしまい、やがて飽きるだろうと感じました。
流行りに迎合する意では決してありません。音楽はやはり世界共通のものということです。
民俗音楽であれクラシックであれ、厳然として共通項は存在していますので、
そこに気付かせれば、若い才能の開花も素晴らしいものになっていきます。その上で、昔ながらの事柄に結び付けさせれば、
時代にも応じられ伝統をも重んじる立派な人材と成り得ます。これこそが、次世代教育だと思います。
一方。
私はある時点で「さすが霞ヶ関」と気付いた事があります。ただ下記の内容は私個人の想像です。ご了承下さい。
それは「今回で国内の邦楽関係者がふるいにかけられる」という事です。お判りでしょうか?
私が「学校音楽教育に邦楽導入云々」の情報を得たのは2000年初旬でした。
知り合いの先生方も1/3程は既にご存じでした。以後、にわかに周囲が色めき立ったものです。
恐らくこの現象は全国的に展開されたでしょう。色んなジャンルのお師匠さんと呼ばれる先生方が、
「私のジャンルを取り入れなさい」「我こそがスタンダードなり」と、しかも先んずれば人を制すとばかり「動いた」のです。
その動きは一部で奏功し、今年度から絶好のスタートが切れるお師匠さんもおられるでしょう。
ただ、問題はこれからです。
文部科学省の方針は、各学校を固定させるものではなく、あくまで現場に大部分が委ねられています。例えて言うなら、
度々ジャンルや手法を変えていってもいい訳です。すると、現時点では一番乗りを遂げたお師匠さんが今後求められるものは、
「現場に応じ現場が必要とする、手法や方向性、サービス等の供給が継続的に可能か」という点です。
これが満たされているなら将来、所謂「勝ち組のお師匠さん」となれるでしょう。しかし前述した様に、
若い世代や時流に応える事は、単に経験で培われたということだけで叶えられるものではありません。
学校教師の質低下もさることながら、それにしても現場の当事者でさえ難しくなってきている教室の真只中に、
教育の素人が入り込んで成果を上げられる可能性は、偶然の幸運を含めても左程に非ずと言わざるを得ないでしょう。現に、
ある流派の太鼓の譜面は「テンテン、カラカッカ」などの表記であったりもします。現場から冷笑されるのは目に見えています。
意気込んで参入したものの、実情に合わなかったり成果を挙げられなかったお師匠さんは、
ともすれば「急いては事をし損じる」如く「負け組」となりやがて、
当たり前の事をする分には楽ですから「やはりここがいい」とばかり、元の高齢者カルチャーに戻っていくのです。
これにより、従来全国津々浦々に散らばって、一体どれが主流なのか、何を基準にすべきなのかが判然としなかった邦楽界が、
教育界の一定の認識の下である程度整理され、また、次の段階で「勝ち組」同士で競争でもすれば、
より一層、スタンダードと呼べるべきものが明確になるのです。
「日本人に邦楽は本来のもの」の呼び声の元に始まった今回の施行は、勿論実行されるのは良い事ですが、
色んな意味合いの一つに、こういうポイントもひょっとしてあるのかなと愚考するのです。
しかし上記はともかく。一番の問題点であり恥ずべき事があります。
それは、お上から「しなさい」と言われなければ動かなかった「今まで」という時間の蓄積です。
如何に今まで、世界観を持ち、大所高所から判断し行動出来るお師匠さんが、いなかったか!
如何に今まで、民族意識や愛国心をたいして自覚する事なく、西洋音楽一辺倒な教育であったか!
それを今回、まざまざと戒められたような気がしました。
・・・真偽の程は判りません。拙い、いやひょっとして捻くれた、私の想像だけならいいのですが。
要するに、邦楽側にも問題があるのです。それが今回から見直されるチャンスが与えられた訳です。
勿論、ある程度の東洋的ファジーは残すべきでしょうが、
木を見て森を見ずの如く、今まであまりに細かい部分にこだわり過ぎた負の側面は否めません。
これからは、大きなビジョンと緻密な戦略が必要です。
せめて気を引き締めて、まずは(笑)「勝ち組」になっておこうと思います。