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迷惑な長話。こんな時、あなたならどうしますか?

迷惑な長話。こんな時、あなたならどうしますか?

 これはつい先頃の実体験です。

ただでさえ時間が押して始まっているのに、ダラダラと長い、話というか、挨拶というか、論調というか。

それも、次から次へと展開していくならまだしも、同じ内容ばかりの堂々回り・・・
その場の皆様、かなりイライラが募っております。

さて。こんな時、あなたならどうしますか?

 個別に対話若しくは会話の状態なら、相槌の打ち方で何とでも切り抜けられるでしょう。しかし困りものは、講議、講演の類い、それも身分の格差が歴然で、あがなえない場合です。

小生も同じような立場は、こういう職業柄ですからあります。しかしその時、気をつけるべきは、「今、話全体のどの部分か」「あとどれ位か」を流れの中で示すようにし、更に「皆様は今どう感じているか」空気を読む事です。

これはかつて、宝塚市立すみれガ丘小学校合唱部に講師として招かれた時以来、身に着いております。 子供の反応は正直です。それが分かっていたから、ある程度系統だった準備はして参りました。 話のストーリー性をはっきりさせないと、すぐ態度に表れます。子供は、一度乱れ出したらもう元には戻りませんから。

しかしそれは、大人でも同じ事だと思います。 もっとも社会性や理性が強い分、大人の我慢の度合いは子供とは比べ物にはなりませんが、感じるものは、子供であれ大人であれ、同じです。嫌なものは誰だって嫌なのです。

 竹村健一氏は、その数多い講議経験から、「問いかけに対して沈黙の場合、コンセンサスを得られていると判断して良い」とおっしゃっておりました。これは正論です。特に日本人に多い特徴というか雰囲気ではあります。

しかし、抵抗できない場合や、自由に意見交換が出来ない、圧倒的な雰囲気の中にあってはもう、 怒りのマグマがぶくぶくと煮えたぎっている沈黙、とでも申しましょうか。結婚式披露宴での長スピーチなどは、その典型と言えるでしょう。

勿論、迷惑にもいろんなレベルがあり、指導的、教訓的なものでも、聞く側は迷惑と思うものもあるでしょう。それはそれです。 それに、いつかは終わります。永遠には続きません。

しかしどう見ても迷惑であるなら、その人は前に立って話す資格はないのであります。 若い勉強中の者ならともかく、ひと歳取ったベテランと思しき方がそれでは、本当にいけません。

あの時、寸での処で、話を遮るべく立ち上がりかけた小生でした。

 「沈黙は金」といいます。「言葉少なく行動で示せ(不言実行)」とも言えるでしょう。 つまり「無言は多弁」というか、最も説得力のある瞬間は、黙る時です。これは音楽でも同じです。 山型アクセントにフォルティッシモもともかく、その音が終わった後の残響、更にその後の静寂・・・

これこそが、その音楽が最も雄弁に物語っている瞬間なのです。

人の話も、何度も何度も繰り返して説得力を持たせる事もありますが、端的にアッピールしてこそ、心に残るものです。

例えば、前述の子供達もそうですが、言葉がそう達者でない外国人相手の場合と考えてみて下さい。 絶対、無駄を排して的確に短く話すでしょう。要は、長話をする側には「甘え」があるという事ではないでしょうか。何しろ、奥床しく辛抱強い日本人が相手なのですから。

 小生の仕事は、そういった反応には常に晒されています。お教室や舞台でもそうですし、陰口や評判などはやがて聞こえて参ります。 またジャズという音楽をやっていたお陰で、空気を読む、アイコンタクトだけで意思疎通を計るといった経験も、数多く致しております。

一つ一つの事柄を、真剣に、謙虚に、丁寧にという心掛けでいけば、そう大それた羽目外しはありません。 あとはそういう経験を積めばよいのです。それが出来ない、或いはしない人には、 何かしら鬱屈したものがあるとか、盲目的になっているとか、他人には解らないこだわりがあるのでしょう。もっとも、我々もたまにそういう方を見かけ接する事もあるから、このように反面教師的に、他山の石的に、学ぶのではあるのですが。

 社会というのは、何かしら迷惑を掛け合うものなのでしょう。それは自分にもいえる事ではあります。

しかし、迷惑な長話はやはり嫌なものですよ。そんな時、あなたならどうしますか?

「カッコ良く遮る」。そう! 皆さん、それを待っているかも・・・