学校への邦楽導入に日本民謡をお勧めする理由
学校への邦楽導入に日本民謡をお勧めする理由
日本民謡は、平均400年前のむかし、この国の一般庶民がその様々な生活の中から産み出した「生きる唄」です。
歌詞を読み、唄を聴くと、どれでもという訳ではありませんが、
単に音楽的な側面だけに留まらず、モチーフ、シチュエーション、気候風土、生活習慣から、
人としての有り様、生きざま、果ては金科玉条的な尊いもの等までに至る「生きるという深さ」を感じる事が出来ると同時に、
現代の日本人が忘れている「何か」、様々な問題解決の「糸口」にすらなり得る要素を多分に含んでいます。
一度、日本民謡を唄ってみて下さい。
日本民謡は私達の先祖が唄っていた唄な訳ですから、実に自然に体得する事が出来ます。但し、
ここで誤解しやすいのは、テレビで見かける民謡歌手のように、
高価な着物を羽織って、かん高いキーで、複雑な「ゆりこぶし」がなくてはならない、というものでは決してありません。
現在の民謡の姿は、コンクールを経てプロになった方々が作り出したもの、
いわば価値観の多様化が生み出した産物という側面が強いものということであって、
先祖がその生活の中で唄っていた民謡の初期の姿は、もっと素朴で生活感溢れるものであった筈ですから、
まずは何も気にせず、そのまま唄えば良いのです。
「私達日本人が先祖伝来の日本民謡を唄う」それだけで、イデオロギーも十二分に確立しているのですから。
私達の先祖がその生活の中で生み出した民謡というものに思いを至し、
たとえ1フレーズでも口ずさみ、そして踊りの所作を真似てみると、
心のどこかに、ほのかな安らぎを感じる事が出来ると思います。
これが、昨今の様々な問題解決の糸口になり得ると言える所以です。つまり日本民謡は「心のふるさと」なのです。
今や洋楽は、すっかりグローバルスタンダードの地位を占めました。
科学的根拠に基づいているので頗る合理的で説得力があり、正直小生も洋楽が好きで、
音楽的発想の殆どのプロセスは洋楽によるものです。
共通語が英語であるのと同様、洋楽もここまで浸透すればもう充分にその役割は果たしたと思いますが、
しかし今以上に突き詰める必要となると、日本人にとってはやはりどこか無理があるように思われます。
ヨーロッパを中心とする西洋と、東洋の果てである日本とは、
骨格や体型といった文化人類学上の側面は勿論、国土、歴史、気候風土、生活環境、食文化・・・
とにかく全てが、当然ですが明らかに異なるのですから、致し方のない事でしょう。それに、
グローバルスタンダードと申しましたが、五線譜を使っているのは、実は地球人口の1/4に過ぎません。もっとも、
同じ地球上の人類なのですからいずれであれ共通項はありますが、しかしその次の段階となるとやはり「違う」のです。
だからといって、洋楽のキャリアが長かったり、日本の洋楽界に於いて既に指導的、代表的な地位にある方、
重要なポストにあられる方々が、今すぐ邦楽にシフトするのは不可能です。二足の草鞋と揶揄されるでしょうし、
今まで培ってきたものを覆す事こそ無理な話というものです。が、少し発想を柔軟にしてみましょう。
フルタイムで洋楽をする必要があるなら、パートタイムで邦楽と接すればよいと思います。それは、
二足の草鞋でも何でもありません。何故なら、これは少々へ理屈かも知れませんが、
草鞋とは身体の外部に付属させるものですが、日本人である我々にとって邦楽、特に日本民謡は、
血肉として心身の内部に既にあるものなのですから、平生どのような立場や役割にあっても、
さながらお盆や正月に休暇を取って里帰りする如く、ほんのひととき、心のふるさとに帰ればよいのです。
もう一つ。日本民謡をお勧めする理由の一つに、実は面白いデーターの存在があります。
「民謡が流行ると景気が良くなる!」
これは識者の間では是認されている説で、決して馬鹿げたものではありませんのでご了承下さい。
日本民謡は、その半分以上が徳川幕藩体制が成熟した時期に発生成立しています。つまり平和で豊かな時です。
殆どが陰旋律というのも「陽旋律よりも陰旋律が楽曲的に進化した形である法則」と合致します。何故なら、
世相が暗い時期にminorを好む筈がないからであり、太平の御代であった証しという訳です。
逆に、踊りは世相が暗い時に流行ります。
鎌倉時代の北条政権末期の「田楽踊り」、幕末の「ええじゃないか」がそのいい例です。心の憂さを晴らす行動なのでしょう。
そして、民謡と踊りは交互に流行しています。
↓(踊り)まず前述の「ええじゃないか」で、江戸幕府は終焉を迎えました。
↑(民謡)次に大正から昭和初期、日清日露両戦争の勝利で豊かな頃、
「新民謡運動」が興り、野口雨情らの活躍で新しい民謡作品が数多く生まれました。
↓(踊り)それから大東亜戦争へ突入する前「東京音頭」が全国的に大流行しました。
↑(民謡)やがて第二次高度経済成長期の昭和40年後半から50年代、
「民謡ブーム」が興り、現在の民謡人口の大半がこの頃に民謡を始めた方々で構成されています。
↓(踊り)長く続いた好景気の果てにバブルが弾け、阪神淡路大震災やオウム事件をきっかけに世相がだんだん暗くなると、
「河内音頭」が流行しました。そして現在。
民謡楽器の一つである津軽三味線が非常に注目されています。つまり交互に流行する法則から言えば、
「次は民謡が流行し景気は良くなる」↑・・・如何でしょうか。
ただ方策例では、盆踊りへの参加という項目がありますが、
それは前述の法則を踏まえた上で、あくまで差別する事なく公正に邦楽と接するという意味と捉えて戴きたいと思います。
学校教育という場での邦楽導入で、日本民謡の持つ特色を生かし乍ら、前述の内容的な部分にまで踏み込む事が出来たなら、
導入は大成功でしょう。それはひょっとして見果てぬ夢かも知れません。或いはかなり時間がかかるかも知れません。でも、
そこに至るまでの、ごく初期段階の、更にほんの一部分の、それもヒントとして、
手前共のご相談窓口をご活用下さり、少しづつでも取り組んで戴ければ結構ですし、
やがて、それぞれの気付きや結実に至られれば、本当にこの上ない幸甚だと思います。
その為に小生で出来る事があれば、喜んでお手伝いさせて戴きます。
最後になりましたが、方策例の最終章「全てに於いてあまり制約がない場合」になって初めて、
「和楽器を購入し、長期に亘って民謡の楽曲に取り組む」としています。それだけ、現時点に於いてそれは贅沢な事なのです。
でもそれが、そもそも可笑しな事だと思います。何故、日本人が日本の音楽をするのに手間やコストが高くつくのでしょうか?
それは理念の問題ではなくシステムの問題なのですが、これはまたいずれ改めて述べる事に致しましょう。
今回の文部科学省の方針は、長期的な視野に立ってそういった事柄までもが解決に至る、きっかけになればいいと、
小生は切に願っています。