いい顔になりたい
いい顔になりたい
過日の新聞に、著名な方々の言葉と、それを含めた本、そしてそれを書かれた方々のお顔が何人か紹介されていました。
既に故人となられている方から、現役の方、それも、作家、財界人、文化人など、色んなジャンルの言わば重鎮でしたが、
ただ一つ、全ての方々に共通しているのは「皆様、いいお顔をなさっておられる」という事でした。
若輩がこのような言い方は、甚だ生意気でしょうが、
でもこんな浅学非才の者でも、明らかに「いいお顔」だと解るほどでした。
小生がまだ20代だった頃、会員さんのお一人がある日、
「顔立ちは変わらないけれど、顔つきは変わる」と教えて下さった事を、
その新聞紙面の方々のお顔を拝見した時に、ふと思い出しました。要するに、
皆様、ハンサムだとか美人だとかいうレベルでは勿論なく、泰然自若というか、穏やかなんですよね。
恐らく、
艱難辛苦もかつて経験なさり、勿論素晴らしい時期時節もあり、そういう意味では決して平穏無事な人生ではなかったであろう、
また、苦しさに負けず、楽しさに耽らず、そしてどこかしらに信念があり、それはあくまで中道で、またそれを正しく貫き、
故に、目は輝き、実寸法より心なしか大きく見えるお顔、そして、柔らかく、光って見える表情・・・
これは一朝一夕に出来るお顔ではありませんし、当然ですが写真用だけのポーズとも思えません。
内面からにじみ出るオーラ、人間性、心の豊かさ・・・
「あぁ、こういうお顔になりたいなぁ~」。小生は心からストレートに、そう思いました。
当たり前の事、
例えば幼い頃、親や先生から教えられてきた、人としての常識というか、躾が、悲しいかな大人になると殆ど実践できず、
人の子の親になった時などに「ハッ」として、久しぶりに背筋を延ばして「いい大人」になろうとする・・・
遅いんですよね、それでは! でも前述の方々は、きちんとなさっておられるんですよ、きっと。
ついつい流されがちな、そういう事柄を、
たとえ一時、奇特な方々を写真でだけでも拝見する事で、ほんの少しでも自分の心を正せるきっかけになります。
その意味でも、やはり偉大で、尊敬すべき方々です。
「あぁ、そういう自分になりたいなぁ~」。小生はまた心からストレートに、そう思いました。
でも、実際はとても難しいことです。
大抵は、浮世や人生の苦悩をそのまま写し出し、難しい、険しい、或いはボヤ~ッとした顔つきになりがちです。
でも前述の方々が輝いておられるのは、そういう苦悩がないからという筈はありません。
どういうジャンルであれ、広く世間に知られるようなご活躍をなさるには、
それまでには必ず、隠された、言うに言えない多大のご苦労があった果ての、現在である筈です。
という事は、どんな荒波にも負けない、そして負けずに闘えるだけの人並み外れた信念と胆力、
多くの方々に支えられる、なにかしらの理由と魅力などが、その方に備わっているということなのでしょう。
一方、
若者の、希望と熱意に満ちた「いい顔」も、とても爽やかで魅力的で、多くの人々の心を打ちます。
一生懸命に努める顔、ひたむきに突き進む顔、夢に憧れる顔、そして正真正銘、幸せな顔・・・
或いは苦悩に打ち拉がれている悲しい顔も、ある意味いいものです。何故なら、
逃げずに正面からぶつかって、でもやはり破れる結果に見舞われる。その正直さ、思い切りのよさは、
なまじ智恵を身に付けた大人が、決して無理をせずに保身せざるを得ずに至る安らかさよりも、
余程潔く、賞賛に値する場合があるからです。
その思いをいつまでも持ち続けて下さい。そして、傷付いた事に自信を持って下さい。
答えが出なくても恥ずかしいとは思わないで下さいと、温かく見守り、語りかけてあげたいものです。
かたや。お恥ずかしいですが小生は、
自分の至らなさ故に苦悩を思う事が多く、それがともすれば自ずと険しい表情になってしまいます。
笑顔が好きで、人が好きであるのに、いつの頃からかこうなってしまった自分の顔が、あまり好きではありません。
だから前述の方々を、とても羨ましい気持ちで見つめてしまいます。
でもいつか、自分自身の内面に、穏やかで安らかな境地を迎えられた時、そこに至った時、
必ず「いい顔」になるんだ、大丈夫だと自分を励まし、その時々を精一杯、生きているつもりです。