お散歩

お散歩

 私の普段の移動手段は圧倒的に、車であることが多いです。

時間の制約が厳密な場合か、移動先の駐車事情によっては稀に、

電車やバスといった、公共交通機関を利用しますが、

極端だと「ちょっとそこまで」であっても、

忙しい、急ぎたい、短時間で用事を済ませたいという理由で、車になってしまいます。

自宅周辺の道路事情が、急な坂道であることも手伝って、

無公害で健康的な「自転車」というツールは、殆どなくなってしまいました。

 そんな訳ですが、近頃、久しぶりに、お散歩をするチャンスがありました。

前述の弊害として真っ先に思いつくのはやはり「運動不足」でしょうし、

お天気が良かったのと、珍しく時間が空いたこともあって、

家族で、ゆるりゆるりと歩き出したのです。

 普段、自分が車で通る道でも、歩いて通ると全く、何もかもが違って見えます。

慌しい日常がまるでウソのように、世の中がゆっくりとして平和に感じられます。

風のそよぎ、水のせせらぎ、鳥の鳴き声、青く高い空、他の通行人の表情など・・・

これらは、車に乗って一瞬で通り過ぎていては、絶対に味わえないものばかりです。

逆に、車の中で過ごすものにも、歩いていては味わえないものもあると言えば、

確かにそうですが、それにしても、

同じエリアでこんなにも様変わりして見えることに、多少なりと驚きはあります。

 また一方、 往来の激しい道路に出ると、車の排気ガスのなんと油臭いことかと、

これもまた驚きます。

自分は車に乗ると、こういうものを吐き出させている訳です。

地球温暖化の危機が叫ばれて久しいですが「そりゃそうだな」と、我ながら痛感します。

 排気ガスというキーワードが出たので、ちょっと本題を反れてお話ししますと、

もう大分前のことになりますが、

私がまだ会主として駆け出しの頃、日々の疲労を心配なさった当時の会長役が、

「どこか山奥の温泉にでも行かれては」と、勧めて下さったことがありました。

会長のお気持ちそのものは誠に有難く、嬉しかったのですが・・・

温泉に「行って」も、帰ってこなければならないのなら、あまり意味はないなぁ、

自宅に温泉があればいいけれども、と(笑)思ったことを覚えております。

それに、 山奥に行くための手段は? 「車」。車は、排気ガスを出す。

自分がいい空気の場所に行きたいが為に、空気を汚す乗り物に乗るのは、エゴ!

などと、屁理屈ともへんこつとも取れる感じも、同時に抱いたものでした。

(結局「有難うございます」と申し上げるに留まったのでした)

 ですから、周辺そのものが既に空気がよく、

忙しい時は、それなりに素早く行動出来る便利な場所であることと、

インターネットや携帯電話などの、電子や電波のツールに不足がないこと、

また、ゆっくりしたい時は、外にさえ出れば、

文字通り、ゆっくりとした時間が流れている場所でもある地域に住みたいと、

思っていたわけです。そして、いざ住んでみて、

でもやはりなかなか時間はありませんが、

漸くお散歩などしてみる暇に恵まれ、歩き出して気付く様々な事柄は、大きく分けて、

改めて新鮮な部分と、

前述の温泉ではないですがやはり、世の中の矛盾の部分とがあるものです。

 まぁ、矛盾点は今回オミットするとして、

新鮮に気付いた点の一つですが、それは、

意外にも、子どもたちが元気に生き生きと遊んでいる風景があったということです。

今どきのことですし、山手といえど都会ですから、限られたスペースしかなく、

また、遊び道具も時間も同じように限られているのに、

彼らは安全な場所を自ら探し、判断し、効率よく、元気に遊んでいて、

そしてそういう姿を、そこかしこに見ることが出来ました。

前述の、自然の営みの風景も大事ですが、

やはり、未来を担う子どもが元気で健全である、大人はそれを守るという在り様も、

大事だと思います。それはいきおい、自然を守ることにも繋がります。

 危なくて、子どもが外で遊べない地域は、

世界のあちこち、また残念ながら日本にも僅かですが、あります。

まして大人でさえ、ゆっくりとお散歩できなくなったら、

前述の、エゴどころの騒ぎではありません。

そうなる可能性は昨今、環境の悪化や治安の良否だけでなく、

病原菌などによる奇病といった、目に見えない範囲にまで及んでいるあたり、

またそれらが、

普段身近に存在しているがそれ程危険ではない、

例えば排気ガスなどといった要因と複雑に結びついて、

あれよという間に、とんでもない問題にまで発展する危険を含んでいるあたり、

子どもの遊ぶ姿や、大人がゆっくりとお散歩出来るという、当たり前のことが、

どんなに尊いものかと、考えてしまいます。私が久しぶりに体験したお散歩が、

どんなに静かで穏やかで快いものであったか。その後、

何事もなく家に帰ってきて、そのまま普通の生活が再び始まった、

それだけに余計、お散歩を振り返ってみて、改めてそう思うのです。

 いつまでも、こういうお散歩が出来るように、続くようにと、願いたいものです。