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「コラボ」前夜・・・

「コラボ」前夜・・・

’90年に幸真会会主を後継して、2年ほど経ったある日。
私は、今まで自問自答していた、ある悩みに終止符を打つことになります。それは「津軽三味線への取り組み」でした。圧倒的なアピール力を持つ、津軽三味線。それ故にというか、だからこそというか、おいそれと簡単に、自分の中に取り入れるのは避けてきました。「スゴイからするというのは、安直。そうでないもので、何処まで肉迫できるかを十二分に検証してからであるべきだ」と。毎日毎日、この葛藤が続き、漸く自分の中で折り合いがついたのか、ついにある日、津軽三味線の購入を打ち明けます。

但し、条件がありました。
「津軽三味線音楽(民謡)をやるためではない。新しい音楽に挑戦するためである。そのためにはコラボ(当時この単語はまだなかった)は必須。特に洋楽を避けて通ることは出来ない。ならば、民謡三味線では音量に差があり過ぎるので、大きな音、インパクトの強い三味線であるべき。だから津軽なのだ。」ということです。
これは自分のポリシーでした。

さて。
我が家に津軽三味線がやって来ました。棹や胴などを選ぶ段階から、その重さ、大きさ、中棹との違いに圧倒されておりましたが、いざ出来上がったものを手に持って(抱えて「笑」)みて、改めてその物凄さに驚いたものです。
で。
初めの2~3日は、ただ眺めたり構えるだけだったりですが、やがて慣れてくると、音を出してみます。後は順次、テキストとしての「津軽もの」の、いくつかの練習に入るわけです。津軽三味線の演奏に必要な要素をこなすことは、基本中の基本・・・ 初めは難しいパッセージもありますが、何とか身につき、「曲弾き」と呼ばれるアドリブの組み立て方なども把握していきました。同時に、コラボにとって生命線である、「洋楽との互換理論」を自分の中で確立していったのです。

そしてある夜。
友人宅に、今から伺う旨を伝えて、津軽三味線を持参しました。初めは彼も、ただ眺めて感心するばかりでしたが、「新しい音楽をやらないか」と持ちかけると、ピアノ室へと場所を移し、「Dマイナー」と一言告げるや否や、二人による「ピアノと津軽三味線のアドリブコラボ」が始まり出したのです。
5分ほどのセッションで、いま思えばかなりラフな曲想ではありましたが、お互いに感じた新鮮さは相当なもので、あらゆるポテンシャルが含まれていることは間違いないと、断言できました。

詳しい日付は定かではありませんが、「’92のある晩」の出来事であり、これが私にとっての「民謡コラボ元年」と言える瞬間だったのです。そしてここから、様々な音楽やドラマが生まれていったのでした。

次回から、次々作られていった曲と、それにまつわるドラマ、感慨などを、順を追って綴って参ります。