トップ » 必見!民謡コラボレーション » コラボ! 次々に生まれた曲たち

コラボ! 次々に生まれた曲たち

コラボ! 次々に生まれた曲たち

第一子(笑)は、「JAZZ 船こぎ流し唄」でした。
発表の場は、日本民謡幸真会五周年記念発表会(’91/10/13、於神戸市立御影公会堂大ホール)でした。

曲の構成は簡単なもの。当時の三味線名取4名が連続して奏でる「レ」を反復オクターブでベースとし、マリンバ奏者の友人が和太鼓を担当してくれ、三味線と併せたリズムを奏でます。そこに加えて、僕が吹奏楽部時代に演奏していたトランペットと、高校吹奏楽部の後輩二人によるトロンボーンとチューバが、フリーの1ノートアドリブで、それぞれ演奏していくというものでした。

正直「なんか変わった音楽やね」という感じのものでしかなかったと、記憶しております(笑)。しかし話題性は充分でした。唯一、今後も継続してこういう作品を発表していく旨を伝えていたことだけが幸いで、事実、以後「幸真会へはジャズを聴きに行く」というお客様が年々増えていくことになるのです。これは、民謡の発表会では極めて特異な現象であったことは言うまでもありません。

僕のアレンジのポリシーは、あくまで「民謡とジャズのコラボレーション」でした。但し前回も申しましたが、この当時まだ「コラボ」という単語はありませんでした。せいぜい「和洋折衷」「民謡の洋楽アレンジ」(←いずれもほのぼのしてますなぁ~)くらいだったでしょうか。
ただ、
参考にしたのは、伊藤多喜男の世界でした。民謡ブームが沸き起こる少し前の昭和40年代後半、日本民謡協会では史上最年少の22歳で家元となり、数々の賞を総なめにしながらも、ある時点からその全ての地位を捨て、独自の民謡の音作りに邁進し、やがて「多喜男のソーラン節」で一世を風靡した、伊藤多喜男氏。
彼の音作りは「スピリット」を中心に据えたものでしたが、僕はそこに、友人の影響により、拙くもボチボチと(笑)勉強を始めた、ジャズの要素を加味しました。

民謡とジャズ。
一見あべこべな折衷に見えますが、実は理論的にも確りとした根拠のあるものだったのです。
それは四つの類似する要素から裏づけが可能でした。

1.発祥の類似
2.リズムの類似
3.音階の類似
4.構成の類似

1.
は、日本民謡が庶民から発生した音楽であるのに対し、ジャズはアメリカ黒人から発生したもの。つまりどちらも「庶民」という底辺で担われた音楽であるという類似です。
2.
は、ハイヤ系に見られる、弾んだ調子のリズムに対し、ジャズ独特のスイングとの類似です。勿論、アクセントは、オンビートとアフタービートの違いがあるのですが、類似には違いありません。
3.
は、ペンタトニックと呼ばれる五音階が民謡の特徴なのですが、マイナーペンタトニックの場合、ジャズの特徴であるブルーノートが含まれているという性質です。Dマイナーだと特に分かり易く「レファソラド」となっており、尺八であれ横笛であれ、勿論三味線であれ、そのままジャズっぽい音階で演奏が可能なのです。
4.
は、甚句調、七五調、口説調といった歌詞(文字)数の制約の中で、自由に言葉を組み合わせながら唄の数を増やしていく性質があるのが日本民謡で、現に今でも新しい歌詞が生まれ続けている民謡は、全国に数多くあります。また、文字数に関係なく即興で唄っていく、河内音頭新聞(しんもん)詠み(しんぶんと、新しいもん、という大阪弁をかけた言葉。その日の夕刊を手に持って即興で音頭を詠んでいく、河内音頭の流派のひとつ)などは、日本のジャズとも言えるかも知れません。
かたや、ジャズは、コードという制約の中で、テーマをフェイクしていくというアドリブ音楽であり、言葉と音の違いこそあれ、これも類似と言えます。

以上により「民謡とジャズのコラボレーション」はまず、フリースタイルのかたちで北海道民謡の「船こぎ流し唄」としてスタートしたのでした。
以後、年に一回の幸真会の発表会の場で一曲ずつ、たどたどしい僕の歩みで続けられていくのです。
また、
友人も自分なりのフィールドで、カルテットやクインテットの中に僕の津軽三味線を加えながら、作品を生み出していきました。
次回は、そんな彼の作品のいくつかをご紹介します。