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武田信玄と上杉謙信の罪

武田信玄と上杉謙信の罪

戦国時代を代表する二人の武将といえば~

武田信玄と上杉謙信でしょう。

加えて、
五度にもわたる「川中島の戦い」が、二人の名を天下に知らしめました。
以前このコーナーで、織田信長が本能寺で謀反に遭った理由として、占星術からなる持論を載せましたが、この二人の戦いぶりに関しても、そこから紐解くことが可能だと、伝授下さった先生から教わりました。戦いは常に「謙信が一歩抜きん出ていたはず」なんだそうです。
誕生日からなる数字の配列は、二人とも驚くほど似ています。しかし謙信のほうが、とあるキーワードの成立を示す並びに、数字一桁ぶん早く到達するのです。年上だったこともあり、謙信の思考力、洞察力、戦術が常に上回っていたと見るのだそうですが、如何でしょうか。

それはそうと。
しかしこの二人、一体何の目的でここまで戦ったのでしょう?

信玄が困っていたら塩を送り届けるほどの謙信の律儀さ、また信玄もそれを涙して受け取るあたり、本当に相手を滅ぼすのではなく、どうも腕試しというかゲーム的な意味合いが強いように思いますが、それが最悪の結果にまで高じてしまったのが、実は四度目の戦いでした。
通常、軍の5%の損害が出ると「大敗」と言われます。これは、戦術も武器も相当に進化した現代であれば尚の事、5%など完全に作戦ミスです。戦国時代の「5%」が持つ意味合いは、現代とは比べ物にならないとはいえ、しかしこの四度目の川中島の戦いでは、なんと両軍平均80%にも達する犠牲者を出しました。
ちょっと絶句ものですよね!

兵農分離を最初に実行したのが織田信長。彼が織田家の家督を継いで4年後に一度目の川中島の戦いがあったわけですが、全国の武家はまだ、戦闘要員の大半を農民に頼っており、武田上杉両家も例外ではありませんでした。とすれば両家はこの四度目によって、大切な納税者の多くを失ったことになるのです。

そこまでゲームする必要があるんかい!

案の定、五度目の戦いは大した規模ではなかったようで・・・
ったく。ここまでくれば立派な罪ですよ。

現代にあっても、本当に戦争をしているのは両国の首脳陣合わせて100人程度だと言われており、「国のため」と命をかけて動員させられる兵士の一人ひとりには、相手に対して「敵」という概念は皆無のはずとだとみていいでしょう。情報が発達している現代でさえこの様相であるのに、戦国のむかし、わけも分からず動員させられ、相手はおろか、恐怖とも戦いながら、痛く、苦しく、悲しい思いをしながら、まるで虫けらのように死なされていった農民一人ひとりにに、親もあれば、兄弟も妻子もあったはず・・・
彼らはどんな思いであの時代を生き、死んでいったことでしょう。

信玄も謙信も、領内の治世に目を見張るものがあったのは確かですが、
片方でこんなムダな戦いをするようでは、帳消しですねぇ~

しかし。
これは現代の政治家にも、実業家にも、ひいては個個人の生き様にも当てはまる、重要な戒めと言えることかも知れません。社会とは迷惑をかけ合って生きていくもの。その不完全さ、アンバランスさゆえに、人間であると。
「功罪相半ばする」といいますが、出来る限り、功をのばし罪を減らす努力が必要でして・・・ これが難しいんですけれども~