民謡が危ない

民謡が危ない

 随分前の事ですが、NHK教育テレビで「未来潮流 民謡ルネサンス・新しい民謡の音と心を求めて」

という番組がありました。そこに出演されている方々の共通点は「民謡を廃れさせてはならない」という強い思いでした。

それはただ、民謡に携わる仕事だからというものではなく、少なくとも、

日本人共通の音楽文化であるという理念が大前提としてあるように私には思われ、

共感できる部分も比較的多い内容でした。

 では、はばかり乍ら、私にとって「日本民謡」とは。

それは「あらゆる可能性を秘めた未開のジャンル」です。

私が高校時代在籍していた吹奏楽部は、毎年音楽大学や芸術大学への進学者を輩出する環境で、

友人の殆どは音大卒か音楽業界なのですが、その中には、民謡に興味を持つ人も少なくありません。

その彼等から以前「僕達は日本人なのに、何故白人文化を高い学費を払って勉強しているのか」

という声を聞きました。私はこれを、絶好のチャンスと見ます。

 無名の若輩が生意気な発言ですが、私の民謡界の方々への願いは、世界共通語の「英語」のような役割を持つ「洋楽」を、

もっと学んで欲しいという事です。それは、ただ楽譜が読めるというだけでなく、

聴音、楽典、コールューブンゲン、楽曲分析、コード分析なども含まれます。

洋楽人口は世界人口の3分の1にも満たないのですが、それは極めて合理的な基準、統一規格ともいうべき要素を持っています。

これを用いれば、一見別物に見える東と西、北と南でも、ちょっとした発想の転換で整然とした共通項が発見できます。

そしてその時「世界は一つ」という喜びと確信が生まれます。

 現在の民謡の状況では、洋楽と接しない限り、新しい感性の発見はありません。まして、

民謡を広め、発展させ、最終的には本物を残すという大義名文を果たすなら、洋楽は避けては通れない通過点です。

 私の経験上、前述のような、民謡の良さに気付いて近づいてきた有能な若者がいたとしても、

民謡側が勉強不足と見れば、彼等は無念さのみを残して去っていきます。これは非常に残念な事です。

ただでさえ高齢化が叫ばれている昨今。それなのに、相変わらずコンクールや全国大会頼りの現状が何時までも続く。

これらは、先人達が敷いたレールの上を若者に歩かせているだけで、真の新しい発掘、新しい発見にはならないと思います。

 若者が独自の感性を生かし発表する必要、という発想は、このジャンルには存在し得ないのでしょうか。

こちらが洋楽に近づいたからといって、そう簡単に日本の良さは失われません。

最低限の基準の上に日本特有の感性を加えれば、必ず、素晴しい音楽が生まれます。