民謡と大都会
民謡と大都会
私は平成7年の阪神淡路大震災に被災し、その年の4月から3年間、赤穂市に転居しておりました。
住むところを無くした経験そのものは不幸なのですが、私にとっては別な意味で、貴重な3年間でした。
民謡とは、昔の一般庶民の生活の唄で、現代に於いては農林漁村部、所謂田舎にその面影を残しています。
民謡の指導者は技術面のみに片寄らず、「民謡の心」ともいうべき精神面にも思いを致した指導法が相応しいでしょう。
ところが以前の私には、その精神面が著しく欠如していました。
私は生まれも育ちも神戸市。
晴れた日が多い穏やかな気候、街並みは明るくて上品で緑が多く、市民140万人中、約5万人が外国人、
エキゾチックな雰囲気に華やかなファッション、市民の気質はクールでドライ、音楽はジャズやフュージョンがお似合い!
これらの要素は、民謡の土俗性と全く相反するものです。そんな私が、赤穂の農村部で、民謡の心と出会いました。
広い空、澄んだ空気、遠くに折り重なる山々、麓に点在する民家、見渡す限りの田んぼ、
川のせせらぎ、小鳥のさえずり、ゆるやかに曲がった見通しの良い道路、信号は3~4キロに一つ・・・
そんな風景の中に、時速40キロ程で車を走らせて、本荘追分を聴いたあの時、本当に心から涙が溢れましたね。
恐らく前述のシチュエイションと良く似た環境の中、平均四百年程前の日本各地に於いて、民謡は生まれ育ったのです。
だからこそあの時、私のような浅学非才の若輩でも、心打たれる何かを感じたのでしょう。
これを知らずして民謡の会主とは、詐欺師のようなもの。一方、会員の皆様の殆どは地方出身者という現状です。
これは本当に良い経験をさせて戴いたと、心から感謝致しました。
民謡が好きだった父の息子でありながら、今の今まで、のんしゃらとした感覚で民謡と接していた事はさながら、
法華経の衣裏繋珠の喩えにも似ています。
今は再び大都会での生活。だからこそあの時の印象は、より鮮明さを増していきます。
これからも忘れる事なく、精進を心掛けていきたいものです。