何故?
何故?
何故? 「何が?」そうですね。何でしょう?
色んな「何故?」が、私の中にあります。いくつかご紹介しましょう。
何故、私は日本民謡とJAZZを融合(コラボレート)させた音楽をするのか?
それは、地球は一つであり、何の分け隔てもない事を証明する一端として、です。
勿論、理論的な類似点を詰めた上での事で、単なる発想だけではありませんし、また、
別にJAZZでなくても良い訳で、幸真会合奏団では、童謡や唱歌、流行歌などもアレンジして、演奏に取り組んでいます。
何故、そんな発想に至るのか?
それは「ジャンル」という区別を、ある意味で無くし、音楽という概念すら通り越して、
物理的現象である「音」という、最も根源的な部分から、発想がスタートしているからです。例えば、
洋楽のチューニングは「A」が基準。邦楽ではこの音は「1本」つまり、スタート「始まり」の意味で呼んでいます。
東洋と西洋で、表現は違っても同じ事を感じていた訳ですね。それは「同じ地球上だからこそ」ではないでしょうか。
何故、私は新しい事をするのか?
それは、中道を見極めたいからです。
「民謡」は、伝統的な民俗芸能という性質上、保守本流は当然であり、当り前です。ならば、
新しい事や先進的な事も、それと同じエネルギーで取り組まないと、自ずと片寄りを生じ、固執してしまいます。
民謡に関わらず物事全て、一つの小宇宙と捉えればこそ、必ず中心点、つまり中道を見い出す事が肝要だと思います。
何故、人は物を作り出すのか?
前述の「何故新しい事をするのか?」と類似しますが、
それは、有物社会で生きる以上、人が物を作り出すのはある種、当然の営みでしょう。しかし、
「真の」中道なら、それらをも超越した意識が、本当は必要だと思います。般若心経の「色即是空」のような・・・
しかし、これはなかなか出来るものではありません。どうしても見える物を見、音を聞き、触れる物を持ちます。
でも人は「有を経て無に至る」からこそ、真の中道の意味が理解できるのでしょう。ということは、
人にとって有は、無へのプロセスなのかも知れません。昨今の地球にとってそれは、大きな代償ですが。
一刻も早く、一人でも多く、「気付き」に至ればいいでしょうね。
何故、「何故」なのか?
前述がヒントでしょう。早く「何故?」が無くなりますように。
こころ穏やかに、すごしたいものですね。