若さと老い

若さと老い

 私の周りには、同年代に比べて「お年寄り」が多くいます。民謡というジャンル、幸真会の足跡、が主な理由です。

さて、お年寄りは、自分の事をどう思っていらっしゃるのでしょうか?

私の体験を例に取って、お話しを進めてみましょう。

 お稽古の合間によく世間話しをするのですが、私が体力の減退などの話しをすると、

「まだ若いのに」「私が先生の年にはもっと元気だった」という反応が返ってきます。一方、

これだけ頑張った、というような話しをすると、

「やっぱり若いねー」「私はもう年だから」という反応になります。

前者には、将来を担う若者に対する激励と叱咤が込められており、

後者には、若さに対する羨ましさと老いへの悔しさもあるでしょうか。

 では次に、私が「もっと頑張って下さい」という類の事を言うと、

「先生には分からないでしょう。この年にならないと」という反応が、時として返ってきます。こういう時は、

「ごめんね分からなくて」というような返事をするか、或いは、

私なりの持論でご理解頂くようにしています。その持論とは、

「確かにその年齢ではないから判らない。でも私も(体力面では)学生の時のような訳にはいかない。

 だからせめて、そういう自分の変化から、自分なりに『年寄り』を想像し、理解するようにしているので、

 その努力は分かってほしい」というものです。

この説明なら、殆どの場合何とかご理解頂けるのですが、

ここで実は、興味深い心理が隠されている事に気が付きました。

 それは、「分からないでしょう」と言う方の殆どが「自分が分かってなかった」と言う事なのです。

その方々が若い時「老い」に対する、例え最小限度の理解や、理解への努力があれば、

老いた自分に対して向けられる言葉や状態を、多少なりとも是認できるのではないでしょうか。

 逆に言えば、若者は年寄りの経験がないから、分からなくて当然であり、

お年寄りは若い時を経験しているのだから、当時の未熟さを振り返って、若者に対する理解を示して頂きたいのです。

そういう感覚を備えた「お年寄り」に対しては、若者は案外無下には接しないものです。

年の功を賛え、尊敬の念を抱き、その方の後ろ姿を見て、自分の将来の範とするでしょう。

もっとも、老いも若きも、世間を騒がす様な極端な例はともかく、

前述のような公正な人達が集まって、互いに輪を広げ合えば、

「高齢化社会」という言葉の響きも、随分とイメージが変わってくるし、

もっと前向きなものになってくるのではないでしょうか。

 但し、そういう「お年寄り」になるには、若い頃からの心掛けとその積み重ねが、非常に大事なものになります。

果たして、現在の日本でどれだけの若者が、謙虚に、堅実に、公正な心掛けを実行できるでしょうか。

 若者が、ひいては人間全てが、一日も早く、一人でも多く、目覚めるべきなのです。