河内音頭と文化性
河内音頭と文化性
先月から、広島で中華料理JAZZライブをしていた頃のベースの同僚の誘いで、
Music Factoryの、
創作太鼓・河内音頭、浅照会会主、浅照先生による河内音頭に、三味線として参加させて戴いております。
今回のコラムは、そこでの体験談と致します。
メンバーは、音頭取りとその息子さんの太鼓、エレキギターとウッドベース、そして私の津軽三味線の5人です。
河内音頭は「その即興性、和風Swing等は正に、日本のJAZZとも言うべき音楽」
と自分なりに解釈しています。そして、初回の練習で判った事ですが、
メジャーマイナーの切り替えはともかく、通常の弾んだリズム(浮き)だけでなく、平間リズム(刻み)での唄い方もあったり、
まるで浪曲の様に台詞があって、三味線が合いの手を入れるなど・・・櫓物のみと思っていましたが、
いざやってみると、そこはそれやはり「日本民謡!」そして「芸能のなにわ!」。奥は深いのであります。
そもそも河内音頭とは、
1、大阪府河内地方の盆踊り唄で、発祥は室町時代前期であるという事
2、音楽的構成としては、歌詞の大部分がアドリブで、約束事となるキメが3種類、
冒頭「エーサテハ」で始まる「枕」と呼ばれる導入部と、
「ヨーホイホイ」に続くハヤシの「エンヤコラセードッコイセ」と、
その他の歌詞の終わりに続くハヤシの「ソラヨイトコサッサノヨイヤサッサ」とが含まれている事
3、音階は、殆どの音頭取り(唄い手)がB♭前後を基調とし(三味線では4本の二上り調子)、
メジャーとマイナーのペンタトニックに、前述のリズム「浮きと刻み」とを、各々ケースバイケースで使い別けるという事
が、定義としてある民謡、なのです。
それと、本場に赴いて感じたのは、その土地の文化性です。
私の住む神戸は「民俗文化不毛の地」と言われています。(代りに国際文化は日本一ですが)
一方あちらは、老若男女貴賎を問わず、皆本当に心から盆踊りを楽しんでいます。
万難を排して行事に賛同、参加するそのエネルギーは正に「高い文化性」そのものです。
しかし、当人方々は「民俗文化の意識は人間にとって大事なもので云々・・・」といった、
義務感のような意識は、恐らくないでしょう。
楽園にいる者が楽園を謳歌しないのと同じく、また神戸市民が外国文化を当り前に感じるのと同じく、
当然と意識し、実行する瞬間が既に「文化」。換言すれば、
「文化」とは、第三者の客観論的呼び名であり、意識ではないかと思うのです。
被災後で不景気で、それでも「盆踊りをやらなくては」「文化意識を維持しなくては」は、
本当の意味で民俗文化ではないのではないかと・・・
その土地土地によって様々な文化があり、意識があります。
違う土地に赴くというご縁があってこの度、それが想像ではなく、実際に目のあたりにできるのは、本当に貴重な体験でした。
自分の弾く三味線で音頭が弾み、踊りが跳ねる。喝采が沸き起こり、ほころぶ顔がある・・・
神戸から本場に乗り込んだ私。
河内音頭の中にどっぷりと浸かって、民俗文化を吸収しようと思います。
そして「あの三味線がいい」と言われる様に頑張っていくつもりなのです。