私の提唱その1「世界観を持て」
私の提唱その1「世界観を持て」
私は、民謡に関わってから今まで、自分なりの独自の観点から、様々な発想や提唱をしてきました。
因みに何故、「自分なりの独自の観点」なのか、という説明のために、少々行間を割愛させて戴きます。
それは、幸真会の歩みと大きな関連があります。
先代である父は、兄(伯父)が会主の、日本民謡二葉会の副会主を長年勤め、
昭和62年に独立して、現在の日本民謡幸真会を設立しました。
伯父は日本民謡兵庫県連合会の理事長を兼任していた事から、当時、発会間もない幸真会も自動的に連合会に参入しました。
次に、先代が亡くなり、不肖私が二代目会主を勤めるに当たり、
当時の私には会主としての力量が未知数との理由から、連合会を退会してそのまま今日にまで至っています。
つまり、何れの流派、協会、連合会等の既成団体にも所属していない、完全な「私立」の立場にある事や、
蛇足乍ら、洋楽出身の民謡指導家という私のプロフィールも「独自の観点」たる由縁なのであります。
さて、幸真会は二代目より特に、その独自性を優位に活かす努力をしてきました。
自由な発想による立案と企画。実行と反省と改革。更なる挑戦。一方、継続と維持と反復・・・
それらの中で私の頭に常にあったのは「民謡指導家という事業。本業たるプロ意識の優位性」であり、
現在でもそれは変わりません。
こんな私から、一つ提唱があります。勿論、日本民謡、珠に指導者の方々に関する提唱です。
それは、「本業、副業を問わず、これからは世界観を持つべきである」という事です。
言い替えれば、日本民謡ならではの独自性や特色をもう一度、再点検する必要が大いにあると思います。
例えば、発表会の観客動員を促す「先着何名に粗品進呈」の手法や、民謡楽器による歌謡曲や演歌などのアレンジ手法、
また、コンクール至上主義や、各地の全国大会の性質や体質、方向性など・・・
これらが実際問題、本当に妥当か? 世情の価値観と一致しているか?
また、民謡界も高齢化、小子化が叫ばれていますが、関係者が欲しがっている当の若者達は、
前述のこれらをどう感じているかを関係者は把握しているのか? する気があるのか? という事です。
私の見る処、これらの答えは「NO」に近いです。現状のままでは、日本民謡が次代に生きるのは不可能です。
その如何にすべきかの答えが、「世界観を持つ」という事なのです。
現代はインターネットの普及で、誰もが簡単に「世界」を感じる事が出来る時代です。
「世界」を「一つの単位」として認識する事が出来れば、その中での、日本民謡との接し方、考え方が、自ずと見えてきます。
国内であれ海外であれ、その時々の様々な事柄に接した時、
何よりもまず、「ここは世界の一部である」「自分は世界人である」という認識をすべきです。
次に、「自分は日本人である」という再認識をし、その表現の一つとして「日本民謡」を捉えたその時、
初めて日本民謡が国際化でき、世界観を伴って表現された事になるのです。
この、世界人としての認識と、日本人としての再認識を同時に達成できる者が、
これからの日本民謡を担う人材にも、必要になってくるでしょう。
例えば、スポーツのグローバル化によって、「世界観」の有無が問われる様になった今、また、
津軽三味線奏者のブレイクなどで、現代の若者が「日本人としての何か」に気付き出した今は、絶好のチャンスです。
日本民謡だけの価値観に留まらず、又、愛好者のウケ狙いにのみ甘んじず、
たとえ現状のセオリーから見ればリスクとも思える事柄であっても、
世界観に基づいた方向性と手法を以て挑戦していく覚悟こそ、未来に繋がる唯一の手段だと思います。
これが「独自の観点」を持つ、私の提案です。私は、日本民謡の未来のために、まずこれを提唱します。
しかし絶対と言っていい程この種の意見は、関係者の中では少数派であり、
それどころか、理解して貰えない現状が、個人的には非常に残念なのであります。