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私の提唱その2「町田佳聲師よ、もう一度」

私の提唱その2「町田佳聲師よ、もう一度」

 「町田佳聲 まちだ かしょう

それは、今は亡き、日本が誇る民謡家。私が民謡界で尊敬する人です。

師は、早くから民謡の近代化を提唱していました。民謡の五線譜化も、その一つです。

しかし、それらの試みの幾つかは、残念乍ら棚上げにされました。

「師の提唱は難しい」というのが主な理由です。そう異を唱えた方の一人が、

あの藤本流家元、藤本秀丈(ひでお「当用漢字に非ず。失礼」)氏でした。

氏は当時、俗曲から民謡に転向し、それを広げるために、譜面の記載や演奏の習得方法を極力平易にしました。

氏の提唱は当たり、民謡人口は飛躍的に伸びました。

しかし後に、関係者の対応年数が尽きだした頃、民謡は下火になってきました。

メディアの民謡番組も減少の一途を辿り、高齢化、少子化に喘ぐ現状になりました。

 一例として、何故民謡番組が減ったのか? にスポットを当ててみましょう。

(メディア絶対主義で言うのでは勿論ありません)

私の感じる主な原因は「有識者が民謡を見限ったのではないか」という事です。何故なら、

昭和50年代をピークとする民謡ブームはその後、大した進化をしなかったからです。

民俗性、土俗性のみに甘んじて、保守と革新の二極分化さえ確立されませんでした。というか、

ブレザーにジーンズ姿で民謡を唄った金沢明子氏や原田直之氏、

それらをプロデュースした本篠秀太郎氏の方向性が、残念乍ら長くは続かなかったのでした。

その後、民謡下火の兆しが見えてきた頃に、ようやく伊藤多喜雄氏が出て新たな方向性を示唆したり、

最近では、津軽三味線の吉田兄弟や上妻宏光氏も出てはきました。しかしこれらを大局的に見れば、

後に続く人材の出現が一貫性のない散発的なもので、結局、民謡界全体に於て大きな波にはなり得ていないのです。

 さてここから、今回の、私の提案その2です。

私が思うに・・・もしあの頃、町田佳聲師の提唱を活かしておれば、

もっと早い時期に関係者の刷新が計れ、人材が豊富になっていたのではないでしょうか。

確かに当時、将来の民謡人口となる方々にとって、師の提唱は遥か彼方の夢でしかなかったかも知れません。しかし、

未来を見据えていたという認識は、恐らく誰もが感じた事だと思います。ならば、全く反故にしてしまうのではなく、

一定の方向性を以てそれらの環境作りをしておくか、段階的、或いは部分的に、又はアレンジしてでも、

実行しておくべきだったでしょう。

物事の進め方は「10年早いと天才と言われ、20年早いと気違いと言われる」のだそうですが、

異を唱えた藤本氏が、今日の隆盛を築く程の真の人物なら、師の提唱をまさか本気で気違いと感じた筈はないと信じたいです。

「20年先を読みつつ、世情を鑑みて10年先の手法を取った」のだろうと・・・

しかし現在の藤本流の方向性は、旧態依然としたものに感じるのは私だけでしょうか?

たった一人の人生や生き様が、その世界全体の栄枯盛衰を左右してしまってはいないでしょうか?

それとも、それは敢えて、次代への転換を促すためのものなのでしょうか?

 いずれにしても、ちっぽけな私ですが、声を大にして提唱します。

「町田佳聲師を、もう一度!」「今一度、師ほどの頭脳と先見性を持った人物の再来を!」

「演奏者、指導者を問わず、もっともっと大きな目を以て日本民謡を捉えられる人を!」

「それらを躊躇なく堂々と、正当性を以て実行できる公正でグローバルな環境を!」と・・・