私の提唱その3 指導者の育成
私の提唱その3 指導者の育成
これは是非必要です。
日本民謡の指導的家元の教育機関を設立し、有能な人材を世に輩出するのです。
玉石混合の現代にあって、真にカリスマ性を持った将来性のある逸材をすくい上げ、
人材育成と後進の指導に必要な技術と智恵、将来の事業に相応しい知識、金科玉条ともいうべき尊い教え・・・
それらを授ける学校を、できれば公的に設立するのです。
真に人の上に立つ人材が多数存在する筈はないので、これは極めて少数精鋭な英才教育機関であるべきです。
これが達成できた時、ここから発信されるものは大きく分けて二つあります。
まず、「世のリーダー像を改めて問い直せる」という事です。
いま、教師、指導者、政治家、実業家、所謂「リーダー」たるべき人材の資質と実力に警鐘が鳴り響いています。
リーダーは、多くの人々の様々な事柄を共有し、命運を共にするので、序列で誰でも出来るものではなく、また、
資質があっても正しく育成しなければ、暴君とも成り得ます。昨今、この種の事件は枚挙にいとまがありません。
日本民謡という極めて具象的なジャンルではありますが、「指導者」である限り、妥協は禁物でしょう。
次に、「日本民謡を広く次世代に残せる」という事です。
日本民謡は、この狭い国土の割に種類も数も圧倒的に豊富です。有名な曲だけで1千曲とは、全く恐れ入ります。
そして、クラシック、ポップス、ロック、ジャズなどと同様、肩を並べられるに充分な資質を持っています。
これらが廃れる事なく文化遺産として残っていくには、まず、
優秀な指導者を育成し、世界にはばたかせ、彼等の元で新しい、且つ普遍的な価値観を有する人材を産み出す事です。
これが実現すれば、世界の音楽界で日本民謡が認知され、MINYOUが世界語になり、
日本民謡界に新しい人材が満ち溢れ、そこから始めて、本当の意味での「本物」が残っていく事になります。
そうなると、現在行われているコンクール制度だけでは不充分です。何故なら、
スポーツ界に於ける「名選手=名監督に非ず」の喩えの如く、
コンクールで優秀な成績を収める事と、指導者としての資質を磨く事は、ある種全く別次元の話しだからです。
私自身は、コンクール出身者ではないので決して偉そうな事は言えませんが、
これらを実現させるには、現状の民謡界の良い部分はそのままに、一方で、
現状にない新しい基準で、しかも世界観を持って事を進める必要があると考えています。
近年、旅館の女将の育成に取り組む方がおられたり、学校の教師が、就任後、再度勉強の仕直しが出来る制度が出てきました。
政界では、自由党による、将来の政治家と成りうる人材を選び出して育成する方法も進められています。
各方面でその様な動きが出てきたというのは、
それ程リーダーというのは重要であり、指導者の育成は重大だという事なのではないでしょうか。
「演奏者は、ほっといても出てくる様でなければ駄目。でも、
指導者は、丁寧に正しく育成しなければ、ヒトラーや麻原に豹変してしまう。」更に言えば、
真に将来性のある、成功者の予備人材のみをピックアップすべきなので、人材探しの方法には厳重と万全を期す必要があります。
そして、それよりももっと大事なのは、その創始者について「自らを正しく制御できること」。
自身の保身や栄華に耽る事なく(これらの事業が成功すれば、ですが・・・)
自らが力不足とあれば躊躇なく後進に道を譲るか、一切を中止する覚悟こそ、真の社会貢献であるし、もう一つは、
「創始者が理想の基準ではなく『最低限の基準』であるということ」。
刻々と、より複雑な世相になればこそ、大事なのは個人の今より全体の将来であり、
人物として真に徳高く、演奏技術も指導手法も、未来に向けた、より高度な完成度が必要だからです。