頑張れ!きらら
頑張れ!きらら
今年、クラウンレコードから、新進民謡歌手3名のユニットが誕生しました。
扇谷知里、内山欣子、工藤由紀枝、各女史による「きらら」です。
3名とも、民謡コンクールに於いて輝かしい経歴を持ち、その音楽性、歌唱力は、正に折り紙付きです。
そして3月、大阪の日本民謡甲(きのえ)会会主、成世昌平氏プロデュースにより、
ファーストアルバム「Kirara」が発売になりました。
内容は、前後にオリジナルを配し、その内側に民謡、それも全てにタイプの異なるアレンジが施されているのが特徴です。
私はこのCDを聞いて、正直、一安心致しました。
今までのアレンジ民謡は、「多喜雄のソーラン節」で有名な伊藤多喜雄氏、
津軽三味線でも、木下伸市氏、上妻宏光氏なら聴いてみようかとも思いますが、
それ以外はどれも、決して満足いくものではありませんでした。
でも「きらら」は違いました。
特筆すべきは、アレンジの戦術がしっかりしていることです。
1ノート型アレンジが多かった今までの日本民謡。特異性が強く手が出ないとさえ思われていた日本民謡。
もっとも、私共の民謡JAZZはいわば「極右」でしょうが、別にそこまでいかなくても、
よくよく冷静に考えてみれば、基本的な楽典の知識で充分面白く出来るという事を、彼等がやっと証明してくれました。
また、オリジナル曲には極めて歌謡曲的な雰囲気がありますが、これこそ現代に通じる「常識レベル」です。
「民謡は唄うがそれ以外の音楽は苦手」など、今までよく聞かれた言い訳は、現代の学校音楽教育を受けた世代には通じません。
このアルバムに収められているレベルは、今の若い世代には至極当然であり、
これ位が出来ない人は、今後は民謡歌手になるべきではないと思います。
少し話はそれますが、手前共に新しく民謡を習いたいと来られる所謂団塊の世代以上の方は殆ど、
日本民謡や、三味線などの民謡楽器に関する知識が皆無です。これは民謡特有の不思議な現象です。
ただ、だからこそ私は「指導家」として成り立つし、その限界に挑もうとするから、今まで進歩できた側面は確かにありますが、
しかし例えば、我々が地域の合唱団や何らかの楽団に入りたいと希望する場合、
音楽が判らない、楽譜が読めない、楽器を持った事がない、等のままで行くでしょうか?
なぜ民謡には、音楽素人が堂々と来るのでしょうか?
私にネームバリューがない事がその原因なら別に構わないのですが、残念乍ら私の周囲だけとは思えません。
「月刊みんよう」で取り上げられている、現在の民謡界が抱えている問題も、同じ雰囲気です。
つまり、民謡界の、人材と環境の貧困さが原因かと思われます。
例えば、ある世代の方々が用いる実業団社会等での常識加減が、同一人物なのに民謡界にその場所を移すと途端に影を潜める。
これではやはり、民謡界の人材貧困、環境貧困と言われても仕方ないです。ある種、なめられているのかも知れません。
とまれ、若い世代の目をもっと民謡に向けさせるには、きららの様な方々がもっともっと数多く出るべきです。
私はきららを応援します。そして、私ももっと頑張ります。
「一人じゃなかった」の思いを胸に・・・