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逸材がもたらす効果

逸材がもたらす効果

 最近「逸材」と呼ぶに相応しい方々をよく見かけるようになってきました。

目立つのはスポーツ界。グローバリズムの世情を反映し、サッカーや野球、また従来からのゴルフやテニスなど、

日本という「お国意識」を越えて「世界」で活躍する、超一流プレーヤー達です。

あまりいいニュースにお目にかからない昨今にあって、

これらの方々の活躍ぶりには、浮世を忘れて喜べるし、感動も感心も得心もさせられるものです。

中でも近年の傾向として共通しているのは、一芸に秀でるだけでなく多才であるということです。

カメラへの露出度をちゃんと計算していたり、トークもうまかったり、多様な趣味を持っていたり・・・

そういう方々からは「真に優れる者」と呼ぶに相応しい、トータルでの完成度の高さを感じます。

ひと昔前によく見られた「その道以外は破天荒」といった所謂「OOバカ」という類いは、最近殆ど見られません。

というか、おられても、そういう方に対する世間の目が厳しくなってきました。

 ここで今月のテーマ「逸材がもたらす効果」です。

これは言わずもがな「人類の進化」を意味します。

まずその方々に憧れる事から入り、やがて目標として目指し、いつかは越えるか或いはオリジナルになっていくとか、

その途中段階で異なる類いの憧れが加わって、形や種類を変えていったり、また、

目指して頑張っている自分の姿を他の誰かが憧れる場合もある等、これらは非常に良い連鎖状態です。

「他山の石」という諺には、自重気味で黄色信号的な意味合いの「ああなってはいけない」と、

青信号的な明るい要素の「ああなりたい」の2種類の意味を含みますが、

様々な危機に瀕し、残された時間の少ない人類にとって、これからは、

「後者的他山の石」つまり下を見て上を目指すロスより、ダイレクトに上を目指すスピーディーさが大事だと思います。

 ただ、気になる事が一つあります。

日本人は往々にして「世界」という言葉には「日本を出る」というイメージをしがちですが、これは間違いです。これでは、

日本は世界の一部ではない事になるのですが、ある意味でこれが正しいといえる問題が、日本にあるのではと思うフシがあります。

それは、日本社会は共存を大前提とした社会だという事です。

これ自体は聖徳太子の十七条憲法以来、非常に平和的且つ高尚で素晴らしい精神です。マッカーサーはかつて、

日本人が本来持つこの特性を恐れ、戦後日本に残りカス的なアメリカンナイズを持ち込んだ為に今や、

「世界の中心にさえ成り得る日本の可能性」が失われかねない現状になってしまいました。(持ち込まれる方が悪いのですが)

ただ、この精神が正確に機能するにはかなり高度な意識が要求されることが、重要なポイントです。例えば、

共産主義が人間の意識向上を伴わなければ机上の空論であるのと類似する如く、共存は一つ間違えば腐敗をもたらします。

つまり、周囲の意識が低ければ、突出した才能が出現するや共存のバランスが崩れ、結果、その芽を摘み取ってしまうのです。

今の日本は、前述の戦後背景によって正にこの状態を招き、それゆえ逸材は、真の切磋琢磨を必要とする場を求める結果、

何よりシンプルで自由主義、そして競争社会である白人圏に向かって日本を出ていくのです。

 とまれ、世の羨望を集め、真に活躍出来る逸材はやはり、何らかの使命を受けている方々、

それぞれの道は具象的で決して万能ではなくても、それを通じて大きな何かを伝える役割を担っている方々であると思います。

願わくばどうか横道に逸れる事なく、極めて極めて、そして多くの人類を良きかたに導くような活躍をなさる事を、祈ります。

幸い「世界」を意識する日本人が昨今民間レベルでも増えてきましたので、

これからは何処にいようと何のジャンルであろうと、妙な日の丸意識を捨て、その秀でた一芸に没頭し結果を出す事こそが、

国境を越え且つその国の誉れとなり、やがて人類の更なる進化の新たな出発点になるのだと思います。