音楽は良いものです
音楽は良いものです
皆さんは、どれくらい音楽を楽しんでいますか?
まず聴く方。私は大体のジャンルは区別なく聴きます。
クラシック、ブラス、ジャズ、フュージョン、ロック、歌謡曲・・・あ、そうそう。日本民謡(笑)
民謡といえば、外国民謡ならアイリッシュトラッド。たまに御詠歌や声明も・・・とにかく、
その時々の雰囲気や気分によって、様々に変えていきます。そしてその殆どは、車の中で聴きます。
普段は、ピアニスト西村由紀江のアルバム「VIRJIN」を静かに流しています。
お客様を乗せていても、独りで考え事をしていても、これならオールマイティーです。
それから気が向いた時には、クラシックやブラスです。学生時代を思い出して悦に浸っています。
また、大河ドラマのテーマ曲集を好んで聴きます。クラシックだと時折、
「僕だったらここはこうするのになぁ」など、趣向が合わない部分があったりしてかえって不満ですが、
あのN響のフルオーケストラで、しかもオリジナルの大河ドラマ曲集は、両手放しで感動できる喜びがあると思っています。
夜のドライブには、神戸という土地柄、やはりフュージョンやジャズがぴったり。T.Squareやチックコリアが好みです。
ポールモーリアもGood。氏のアレンジは正に芸術だと思うし、民謡をアレンジする時、その手法は大いに参考になります。
夜、なかなか眠れない時は、静かなピアノ曲を集めたMDを聴きます。ドビュッシーのアラベスク、夢、
サティーのジムノペディーやグノシエンヌ、ラベルの亡き王女の為のパヴァーヌ、ショパンのノクターンなどが入っています。
ピアノといえば坂本龍一、また福岡ユタカやアディエマスなど、パーソナル感の強いアーティストも見逃せません。
歌謡曲は、さだまさしや井上陽水の他、名曲と呼ばれるもの、また彼女がファンのスピッツも好んで聴きます。
演歌は、聴くというよりはイメージする事が多いです。やはり日本人だなぁと実感します。
日本民謡は、田舎道をのんびり走る時が一番ベストです。これは以前このコラムにも書きましたが、
赤穂に転居している時に、ゆったりとした田舎道を車で走りながら本荘追分を聴いたあの感涙は、今でも忘れません。
あの経験をするとしないとでは、民謡に関する思い入れが随分違うと判りました。素晴らしい音楽だと思います。
季節毎だと、お正月には宮城道雄箏曲集。月並みですが、やはりいいものです。
まだ薄ら寒い、しかし春の陽射しが感じられる頃には、ファリャ作曲三角帽子第二部「粉屋の踊り」を聴きます。
卒業式の頃は、岩河三朗作曲巣立ちの歌や、若い翼など、合唱曲が相応しい感じがします。
夏、クーラーが寒い程の部屋では、ホルスト作曲組曲惑星「木星」を聴きます。また夏と言えば、高校野球。
「行進曲」や「ああ栄冠は君に輝く」などは、高校時代、開会式閉会式に出場した経験から、聴けば今でも感動できます。
暑い夜にはボサノバが一番です。わざとクーラーのスイッチを切って、部屋も真っ暗にして、窓を開けて、
ポテトチップスを少しずつ食べながら、普通のコップにぬるめのワインを・・・
こうすると、暑さは不思議と感じません(但し毎晩やると飽きるし身体壊しますが)
天高く馬肥ゆる秋のちょうど今頃には、プロコフィエフ作曲体育祭行進曲op69-1がお似合いです。これを最初に聴いたのは、
昭和63年9月28日フェスティバルホールでの関西学院大学応援団総部吹奏楽部第27回定期演奏会でした。あと、
スミス作曲ダンスフォラートゥル。大阪音楽大学吹奏楽研究会の定期演奏会で初めて聴いた時のショックは今でも忘れません。
秋のこれらはつまり、吹奏楽部時代に色んな舞台で演奏した思い出の曲や、演奏会を聴きに行った時での憧れの曲が多いのです。
それから年の瀬には、やはりクリスマスキャロルでしょう。単純なようですが、
いい曲を厳正に選べば、神戸という土地柄、そこはぴったりと雰囲気が合います。
以上、自身の体験から得られた、言わば「My Favorite」。その時々の思い出やトラウマ的なものです。
次は、演奏する方。
プロフィールにも書いていますが、幼年期はテクニトーンを習っていましたので、今でも拙いながら鍵盤は弾けます。
そして中学高校時代のトランペットも、今でも何とか音は出るのですが、
仕事で尺八を吹く都合上、ホーン属とフルート属とは混同してはいけないので、極力避けています。
民謡に関する楽器は勿論殆ど演奏可能ですが、しかしこうしてみると、
弦楽器、管楽器、そして、和、洋、ラテン等の打楽器に、鍵盤楽器。つまり、
楽器としてはほぼ全部を網羅している事になりますねぇ(いま気付きましたが・・・笑)もっとも、
今となっては「さま」になるのは民謡関連だけですが、
しかし成りゆきとはいえ、こんなに沢山の楽器や音楽の楽しみを知ってて、私は幸せだと思います。
その元を正せば、母がきっかけです。
血筋という点では、民謡好きだった父方の祖父や父とその親類、京都で置屋を経営していた母方の祖父との両方でしょうが、
生まれつきの絶対音感だった私が幼い頃、母の実家にあったオルガンで遊んでいるのを見た母が、
父の難色を押し切って当時のヤマハ音楽教室に通わせたのでした。ただ、私には妙な固定概念があって、
ネクタイを絞めてスーツを着て会社に勤める事が仕事と呼べる絶対だと、幼い頃からずっと思っていましたので、
運命とはいえ、自分のいまの職業には、つい最近まで異常なまでのコンプレックスがあり、
自分で納得のいく答えを見つけ出すには、相当な苦痛とジレンマに苛まれてきました。
でも最終的には、サラリーマンや大卒学歴に負けないものは掴んだつもりですし、
自分が一番好きで、大切で、自信があって、得意で、主観的にも客観的にも接する事が出来て、例えば、
朝起きて晩寝るまではおろか、夢の中まででさえ何らかの音楽が四六時中頭の中を流れている、そんな自分が一番自分らしく、
そして、それをする為に今を生かされているのだという確証を得させて戴き、尚且つ、
常に何らかの結果まで出させて戴けている事に、最高の感謝をしています。
最後に・・・私が「至上の音楽」と名付けるもの。それは、森の声です。
音楽は良いものです。私は音楽が大好きです。(文中敬称略)