十五周年記念大会に向けて・・・
十五周年記念大会に向けて・・・
いよいよ記念大会が近付いて参りました。
ここに至るまで多くの方々のご理解とご協力を賜り、感謝の念に耐えません。
後は、無事に幕を下ろす事ができる様、祈るばかりです。
今回の開催には、水面下で賛否両論がありました。弊会では本来「記念大会は10年毎」と位置付けているからです。
しかし私自身思う処あって、皆様のご理解を求めました。
この場で多くは語れませんが、21世紀最初の年というのもその理由の一つです。
さて、これまで幸真会は、発表会の場に於いて独自性をアッピールして参りました。言葉で表すなら、
「当たり前の価値と、当たり前でない価値を、同時に進める」というものです。
両者同時に出来てこそ、真の中道が見えてくると思うからです。具体的には、
会員の唄や民謡踊りを前者とし、合奏団でのアレンジ作品や民謡JAZZを後者とする事で、そのバランスを取ってきました。
今回特に、ジャンルを越えた方々とのジョイントや賛助出演が可能になった原動力は、このポリシーなのです。
また、カルチャーというものの技術的限界には、
会主がその場で観客からリクエストを承り三味線弾き唄いをする、という手法でカバーもしてきました。
それは、制約や限界を何とかして打破したいという、チャレンジ精神が原動力であったように思います。勿論、
そういう思いを形にするには、会員の皆様のご理解があってこそであり、その意味では主人公はやはり会員方々であります。
手前共などはまだまだ児戯に等しいレベルではありますが、しかし広く世の中を見回してみても、
冷静な判断力と力強い実行力を成した者こそ、成功を遂げています。
難しい時代にあっても諦めずに求めていけば、必ず答えは見つかります。
何故なら、この大宇宙には、前後左右上下時間までも決して限界はありません。これは変わることのない真理であり、
それは即ち「どこかに必ず答えがある」という事だと思っています。日本民謡幸真会はこの考え方を元に、
今後もプログラム内容に若干の変化はあっても、カラーそのものは変わる事はないでしょう。
そしてそれは、普段の会運営やお教室でのお稽古でも、基本理念として継続していきます。
少々話しはそれますが、ただ、今後益々難しい世の中になる事は間違いありません。
これは易学でも正確にはじき出されている絶対事実で、現に今でも、
それらを裏付けるような信じられない事件や事故が世界でも起き続けています。
また、幸真会でも今までの歴史を顧みると、本当に艱難辛苦の連続で、
先代会主の苦悩もさること乍ら、譜代会員がかつて味わった屈辱は、筆舌に尽くし難いものがあります。
それはまるで、30年間下積み大名だった毛利元就や、13年間人質生活だった徳川家康とダブるかのようです。
特に今回は、年間13件もの不祝儀があった昨年の波瀾の余波がまだ続いているのか、
お教室で冗談に「これ(記念大会)が成就したらNHK番組の『プロジェクトX』に取材を申し込もうか?」と笑った程、
もう舞台が目前に迫っているというのに、今だに色々な問題が次々と出続けているというのが、実は現状です。
これらの苦労はわたくし個人的なら、将来の糧となるでしょうから一向に構わないのですが、
どうやら支えて下さるだけに終わりそうなご高齢の、特に譜代会員の方々には、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
私は、なるべくせちがらい浮世とは一線を画し、権謀術数から離れ、
幸真会という名のパラダイスを築く事が、ひいては大人のカルチャーの真の醍醐味になると思って努力はして参りましたが、
将来の世界や社会に明るい要因を見出しにくい昨今の世情である以上、やはり限度はある訳で、
それだけに正直今まで何度か嫌になりました。極端に本音を言ってしまえば、
わざわざ醜い有物社会で束の間の夢にしがみつくような馬鹿馬鹿しさに浸っているよりは、
さっさと昇天して理想的な悟りに邁進した方が余程合理的で素晴らしい! 愛するものを守る真の力も得られるのにと・・・
しかしそこに辿り着くには、どうしてもノルマをこなさなければならないようです。ならばせめて、
今を精一杯生き、真理を悟り、将来に繋げるべきなのです。それが一番の近道なのでしょう。
とまれ、幕開きはもうすぐ。泣いても笑ってもあと数日です。
兵庫県でも数少ない専業会主である、日本民謡幸真会。大手の流派にも既成団体にも所属していない、完全な私立カルチャー。
だからこそ、可能性は無限にあると思っています。
今後共、日本民謡幸真会を宜しくお願い申し上げますと共に、
11月10日土曜日の昼下がり、皆様お誘い合わせの上どうぞ、うはらホールまでお越し下さり、
厳しいご指導ご鞭撻と、温かい拍手を賜ります様、
会員一同心よりお待ち申し上げております。