笑い話

笑い話

 笑う事は良い事です。今回は幾つかの笑い話をご紹介したいと思います。

 祝い唄によく登場する鶴と亀ですが「鶴は御門に巣を掛けて亀はお庭で舞い遊ぶ」というフレーズの、

鶴と亀を逆に唄ってしまい、後でビデオで判って、一同大笑い!

鶴はともかく亀が御門に登っていく有り様は考えても可笑しいもの。でも、それにも増してこの話の実の面白さは、

その場では誰も気付いておらず、観客から伴奏者、まして当の唄い手に至るまで平然の雰囲気であったという事です。

 往年のコンクール優勝者が舞台に登場して拍手喝采を浴びたものの、

久しぶりが祟って思うさま声が出ず、咳払いするやら汗を拭うやら!

重鎮と目されるお方なら笑いも起こらなかったのでしょうが、その方のキャラクターが幸いしてかせずか、

和みの笑いと拍手で終わり、違った意味で格好がついた、という舞台もありました。

 杖をつき乍らのお身体で舞台に登場し満場の拍手を浴びた、までは良かったのですが、

気合いがカラ回りしたのか歌詞を忘れ、規定の3コーラス全てを同じ歌詞の繰り返しに終止した人もおられました。

またその曲が長い長い津軽ものであったため、客席からは「もういいよ」とばかり、ざわめきや苦笑、ため息すら聞こえる有り様。

見切りをつけて引き下がれば良いものを、まして伴奏者も折角練習したんだからと思ったか否か、

まるでお互い意地の張り合いのような様相を呈するさまが、情けなくもあり滑稽でもあり・・・

正直ちょっと戴けない、会ではありました。

 かたやその昔、キンカン本舗提供の民謡素人名人戦の番組中で、青森県民謡津軽甚句を唄われた方での事。

その方のお孫さんと思しき幼い子供の囃子言葉「ホーイホイ」というかん高い声が、

可愛らしさのなかにも似合いの適材な声だったので、スタジオ中が笑いの連続になりました。

さすがにそのお子さんも、度々笑われるので恥ずかしくなったのか、

最後のコーラスの最後部分は地声で囃したのですが、その心根がまた可愛く映って、やはりまた笑い声になりました。

大抵の子供は、自分は子供で未熟だとは思わないものです。一人前のつもりで普通にやっているのですが、

大人にとってはそれが微笑ましいので、こういう情景になるのでしょう。

 また、これは恥ずかし乍ら私の体験ですが、

お師匠さんという職業柄は、同年輩には面白く映るものもあるのでしょうか、

JAZZの舞台で私が司会進行も受け持った時、喋り口調がいかにも紋切り型というらしく、メンバーが面白がり、

またその面白がりようが客席にも伝わって、何をやっても笑い声が絶えなかった事がありました。

そんな時はもう、そういうカラーで押し通す以外になく、私も開き直ってわざと笑いを誘ったりして・・・

確かに舞台は水物なのですが、あまりに予想外な雰囲気になると却って妙な味も出るものです。

 さて。

落語家の故桂枝雀師匠は「笑いは緊張の緩和である」と定義付けておられました。

殺伐とした世情の昨今にあってそれは、より一層不可欠な要素になっております。

かたや夢判断(占い)では「笑い声は不吉の前兆」と位置付けられています。

確かに、侮蔑的であれば笑いも罪でさえあり、被者が受けた心の傷は察して余り有るものです。

願わくば、前者のような善義の「笑い」を願いますが、

「緊張の緩和」というなら、実はそのどちらもが必要なのは論を待ちません。理想の割合は5分と5分でしょうか。

倦みし世こそ「笑い」は貴重な意味を持つのでしょうが、なかなか、

日々の生活を笑って過ごすというのは容易ではありませんよねぇ。

同じ一日なら笑って過ごした方がと、大抵の人は言うのですが・・・

それでも、人と人との出会いや混ざり会いの中にあって、やはり笑顔は大事なものですので、

笑い話の一つにも耳を傾けて、緊張を緩和させて参りましょう。